世間にうとい私を三浦は

三百弗(ドル)の金を頼りにロンドンへ来た私達は、今はどんな贅沢でも出来る程、金に恵まれるようになったから、全く隔世の感があるといってもよかった。これで三浦の研究も楽々とさせることができる。私は決していい妻ではなかったも知れないが、その点では、私は三浦に盡(つく)せることがうれしかった。

三浦と私とは全く別々の世界に住むとはいい条、私のために、いろいろと開発してくれたのは、無論三浦の力だった。語学の力の足りない私は、ことごとに三浦に頼らなくては何にも出来ない有様だったし、ただただ熱心に歌の勉強をするばかりで、一向世間の事情などにうとい私に、三浦は折にふれ、ことにふれて、人前で恥をかかないように、世界の情勢などを教えてくれたものである。その親切は本当に有難いと今も思っている。

すぐに私がニウヨークへ移って、三浦がニューヘブンのエール大学にいる頃、よこした手紙の一つをお目にかけよう。

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今日はまた大変寒くなりましたが紐育(ニューヨーク)も同じでしょう。昨日ワシントンの写真屋から犬を抱いている写真を一葉大きなので送って来ましたが、何のためかわかりません。とにかくとっておきました。今日、大阪朝日を見ると同封のような衣装が目につきましたから送ります。別にどうという理由もないのですが、何か今度の装束を作る時の暗示を得るかも知れぬので、見ておいたらと思うのです。ウィルソンも今度またドイツの申出を峻拒(しゅんきょ)しました。カイザーを退けてしまえ、降伏するなら、よろしく軍門へ申し出ろというのです。大した勢です。アメリカの外交の上手なのは嘆服の外ありません。後略


環殿

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この手紙を見ても解る通り、三浦は私の上演に関する衣装のことに迄も気を配り、また恥をかかぬように、世界の情勢を教えてくれるという、丁度私を我がまま一杯の子供か何かのように、考えていてくれたのであろう。