爆弾の降るロンドンで

蓋をあけて見ると、オペラハウスは割れ返るような人気で、五回の約束(エンゲージメント)を八回に迄延長した位だった。矢張ここへも、キング・ジョージは御台臨になって下さった。

当時は丁度ツェペリンのロンドン襲来の盛(さかん)な頃で、私が歌っている最中にも、遠くで爆弾の炸裂する音が、もの凄くひびく有様だった。

『蝶々夫人』の衣装をまとって(誌面より)

ロンドンの夜はツェペリン空襲の声におびえて、電燈も暗く、開演の最中も、あまりに爆弾の音がひびくと、人々は我先きにと争って場外へ逃れて帰って行くのだった。しかし、私は、皆が総立ちになっても何でも、最後の一人になる迄も、落ちついて歌っていた。それは爆弾が決して恐くないわけではなく、もう自分はいつ死んでも少しも心残りはないという気持からだった。私の成功は遠く日本の国へも伝えられていたし、こうして度々、皇帝陛下の台臨迄たまわって、とにかくも行く所迄行って初志を貫徹し、自分の畢生の事業は完成されたという満足から、私は少しも死を恐れていなくなったのである。

或日三浦が私に一通の電報を見せていうのだった。

「おい、解るかい、素晴らしい所から電報が来たよ」

「どこからですの? 日本の人から。」

「そうじゃない、アメリカだ、ニユヨークだ。」

「まあ、出演交渉なの」

「そうだ、メトロポリタンオペラハウスからだ。」

「え? メトロポリタンですって。そんな所いいオペラハウスなのか知ら。」

私はそんな風にメトロポリタンさえ知らない程、無知だったのだ。

「否(いや)、さっき此電報を見たので、人に聞いて見たのだ。そうしたら米国では第一流なんだそうだよ。」

「そう。そんならいって見てもいいわね。」

「うん。」

「で、行くとしたら、貴方はどうなさるの。」

「俺か、そうだね。俺も米国へ行って見てもいいと思っている。行けば、俺はエール大学あたりへ行きたいつもりだ。」

「それなら丁度いいじゃありませんか。」

で早速承諾の旨をメトロポリタンの支配人ラビノフの処へ言ってやると、折返しに千弗の小切手を送ってよこしたのだった。