鹿鳴館の華だけじゃなかった捨松
物語は明治15年から始まった。前半のキーマンとなるのが、鹿鳴館の華と呼ばれた、大山捨松だ。陸軍卿・大山巌の妻で会津藩出身。当時としては珍しい米国留学の経験がある人物だ。捨松を演じるのが俳優の多部未華子さん。華やかなドレス姿で、鹿鳴館で踊り社交する姿が印象的だ。一方で、大山巌との結婚は、夢をかなえるためだったと断言。「This is my life」と自身に言い聞かせ、チャリティーバザーを開いたり、直美やりんを看護の道へ導いたりと精力的に活動する。
捨松は日本にチャリティーやバザーを根付かせた人物でありながら、これまでその功績はあまり知られてこなかった。
「歴史そのものが男性中心に描かれてきた面があります。政治は男性の世界であり、女性は男性が社交する時の添え物のような存在。だから、捨松は鹿鳴館の華と呼ばれていたのでしょう。一方でバザーやチャリティーは、捨松や女性たちが中心となって行われてきた。男性の政治の世界とはちょっと違う異質なものだから、これまであまり光が当てられてこなかったのではないでしょうか」と語る。
バザーやチャリティーといった活動が女性たちに与えた影響は大きかったと推測する。「資料がないので想像にはなりますが、捨松をはじめとした政治家の妻たちにとって、女性が家庭以外で貢献できた初めてのことだったのではないでしょうか。大げさかもしれないけれど、そこに生きがいを見つけたり、ポジティブな感情を持ったりした人もいたと思います。良妻賢母としてではなくて、女性が女性として社会を構成する一員になる。そういった動きが、平塚らいてうら次世代の女性解放活動家につながった可能性もあるのではないでしょうか」と語る。
明治初期は、女子教育の必要性がだんだんと認識されるようになってきた時代。明治5年(1872年)に、「学制」が発布され、女子教育の近代化が進んだ。政治家にとって、日本が文明国となることを考えた時に、女性の地位向上は重要だった。しかし、りんの元夫、亀吉のように女性が学ぶことをよしとしない人たちも多かったようだ。
「女子教育の場が広がった一方で、実際に女性が教育を受け、知識を身に付けて発言することが面白くないという男性もいました。捨松は一般の人から見てもお転婆や生意気と言った印象だったと思います」