小さな日常にたくさんの詩が転がっている

雲を雲と呼びて止まりし友よりも自転車一台分先にゐる       

第一歌集『夏鴉』から。ここには大学に籍を残したまま、流動的に学び、働く姿が描かれます。澤村斉美さまの歌は、大きな主張や派手な風景がない代わりに、このような微細な慈しみに満ちています。雲の存在に気がついた友は、思わず立ち止まる。雲の存在を気にしない主体は、その友より自転車一台分、雲に近い位置にいる。そのとき、先に道を進んでいながら、後ろにいる友人への敬愛の念を抱く主体を、わたしくしたちはあわあわと、しかし確かに感じることができます。そして主体より「雲を雲と呼びて止まりし友」を輝かせることができるのがこの作者の美点でしょう。愛着という言葉には当てはまらないかもしれませんが、人に対する淡くも確かな興味を感じることができるでしょう。

ミントガム切符のやうに渡されて手の暗がりに握るぎんいろ

この作者の手にかかれば、ミントガムすら歌の主題になります。おそらく手渡されて噛みはじめて、手持ち無沙汰になった銀紙を握っているのでしょう。そのミントガムを「切符のやうに」と捉えたところに持ち味が活きます。切符とはどこかに行くためのもの。ある地点とある地点をつなぐもの。会話の合間に挟まれたミントガムを、そのように受け取って噛んでいるその姿に、小さな日常にたくさんの詩が転がっていることに気づかされます。

ハンガーにカーディガン揺れ夏の窓はおとろへてゆくばかりの光 

こちらは第二歌集「galley」から。新聞の校正者として働くかたわら、青春時代を抜けて、夫と二人の生活に入っていく姿が見えます。しかしその姿もいたって平熱。結婚の眩しさ、仕事の大変さと言ったものは表立って描かれず、ごく淡く、生活の細部を描く姿に信頼を寄せたくなります。そして青春時代を抜けたからでしょうか、「夏の窓」さえ「おとろへてゆくばかりの光」が差している。このカーディガンもおそらく華美なものではないことがなんとなくイメージできると思います。