時代が時代なら、私は…

小さい頃から東京に住んでいて、実家が太く、高学歴で、自分より何倍も本が売れていて、テレビにも雑誌にも引っ張りだこのあのエッセイスト! きいいいいい! 悔しいーー! 田舎にいる中卒の私だってきっと……! なんて、思うことすらなかったはずだ。

決して覆すことのできない絶対的な壁があって、美味しい農作物がたくさん育つように、自分の家族が健康に暮らせるように、それだけを考えながら生きていける。案外、そのほうが精神的には楽だったんじゃないだろうか?

もっとも、身分が違う人に嫉妬することはなくても、同じ長屋の住人同士、同じ村の農民同士には、嫉妬していたかもしれない。
「あいつのほうが村の男に人気!」「あいつだけ立派なクワを使ってずるい!」「うちの息子のほうがイケメンだ!」とかね。

それに、村社会はしんどい。何もかもが筒抜けで、プライベートなことまでああだこうだと評価され、指図される。また、誰かが抜け駆けをして富を得ることも許されない。突出した個体を引きずり下ろし、掟から外れたものを徹底的に排除する「村八分」システムが、共同体の秩序を守る。出過ぎず、目立たず、恨みを買わないように、永久に空気を読みながら生きていくしかないのだ。ああ、考えるだけでうんざりする。

いや……待てよ? そういえば、私の父の一族は、もともと三河に山を持っていたらしい。といっても、私のギャンブル依存症のダメ親父の父(私からすると祖父)が、借金のカタに売り飛ばしてしまったけれど。

ということは、時代が時代なら、私は農民でなく、庄屋の娘だったんじゃないか……? 農民階級のトップ。だとしたら、読み書きもできて、本を読むこともできたんじゃ……?
いいぞ。裕福だ!

村人たちに頼られ、祭りの日には一番いい着物を着て、縁側で梅を眺めながら本を読む。悪くない。……というか、かなりいい! 現代より向いてたんじゃないか、私。

きっと、源氏物語や古今和歌集を読み、浮世絵や春画に浸り、自分も少しは和歌なんか書いたりもしちゃって、目指すは、武家の家へ嫁ぐため、教養や作法を磨き……

……って、ダメだ! それじゃ今と同じだ。結局、よその村の豪農の娘と自分の嫁ぎ先を比べて嫉妬してしまうに違いない。