騎乗する武士
(写真:AdobePhotoStock)
noteが主催する「創作大賞2023」で幻冬舎賞を受賞した斉藤ナミさん。SNSを中心にコミカルな文体で人気を集めています。「愛されたい」が私のすべて。自己愛まみれの奮闘記、『褒めてくれてもいいんですよ?』を上梓した斉藤さんによる連載「嫉妬マニア」第28回は「物語の背景にある嫉妬が気になってしまう私は、どの時代に生まれたとしてもきっと『嫉妬マニア』」です

前回「「いいね」のために〈食べたい〉より〈映える〉ものを注文してしまう。自分の「好き」がわからない承認欲求モンスターになってしまった」はこちら

物語の背景にある嫉妬が気になる

大河ドラマ「豊臣兄弟」が面白くて毎週かかさず観ている。
愛知県に住んでいる私は、名古屋の中村区あたりを通るたび、豊臣兄弟はこの辺の農民だったのかあ……と身近に感じている。

生まれもった身分がすべてを決定するはずの時代に、農民から天下人へと駆け上がっていった秀吉と秀長。その壮大な成り上がりは、きっと周囲の武将たちにとっては凄まじい嫉妬の的だったことだろう。

どんな物語を観ていても、ついついその背景にある嫉妬について思いを馳せてしまう。あの時代の人たちは、いったいどんな嫉妬をしていたんだろう? 

その時代、人口の8割が農民だった。農民の家に生まれ、死ぬまで農民で、畑を耕し、年貢を収めて生きていく。頑張ったところで、ほとんどの人は商人や職人、武士にはなれない。超えられない壁が、生まれる前から決まっている。

一見、残酷に思える。でも少し立ち止まって考えると、それはある意味で「楽」でもあったのではないだろうか。

現代は建前上、実力主義だ。生まれも身分も関係なく、たとえ貧困家庭に生まれても自由に生き方を選べる。努力と才能次第で誰でも上に行ける可能性がある。

だからこそ、他社の成功と自分の現状の差は、そのまま自分の能力不足という「自己責任」になってしまう。
「もしかしたら自分があそこにいたかもしれない」という錯覚が生まれ、それが強烈な嫉妬や自己嫌悪を産む。

対して、江戸時代のように完全に固定された身分制度のもとでは、上の階層の人間に「自分もあそこにいけたかもしれないのに」なんて無駄な嫉妬を抱くことがない。嫉妬とは「手が届くかもしれない相手」にしか発動しない感情だからだ。

上の身分の者が持つ富や権力に対して抱く感情は、個人的な嫉妬というよりは社会の理不尽に対する怒りや諦念に近いものになる。