ラテン諸国の場合、人とのふれあいといえば「ボディタッチ」のこと。一方で日本はことさら「ボディタッチ」を敬遠する国民性があるようでーー。今回のテーマはそんな各国のお国柄と人との距離感について(写真・文=ヤマザキマリ)

人と触れ合わずに挨拶できるか

日本での外出自粛生活が始まってから、毎朝ネットでイタリア、アメリカ、イギリス、ブラジルといった国々の新聞サイトを見るのが日常になっている。人生において、一つの問題を世界中で共有する、という機会は滅多にない。中東の紛争も、アマゾンの森林伐採も、オーストラリアの山火事も、世界の限定的な地域に暮らす人のみが向き合う出来事と人々は捉えるが、世界的パンデミックに関しては、地球に暮らすすべての人間が同質の混乱や不安やつらさを共有する惨事だ。

とはいえ、各国の報道を見ていると、それぞれの政府の感染抑制対策の内容や医療機関の事情などは実にさまざまで、どこかの国が取った方法を自分の国でも真似てみる、というわけには決していかない。ドイツやニュージーランドが見せた対応を、インドやアフリカの国々が実行できる可能性は低い。世界は一つなんていう言い方もするけれど、今回の騒動を見ていると国民性や文化風習、そして倫理のあり方も含め人間というのは果てしなく多様だ。

初期の段階で、なぜ中国に近い日本ではなく、欧州のイタリアで感染が著しく広がったのかという点についても、私は当初からイタリア人と日本人の生活習慣の差が影響しているのではないかと感じていた。家族であろうと他者であろうと人間同士の距離感が極めて近く、日常会話の頻度も高いイタリアやスペインや中南米といったラテンの国々において、今回のウイルスは絶好の増殖環境を見出してしまったのかもしれない。イタリアの家族はみな、人と接触できないつらさはウイルス感染の苦しみ以上、などと漏らしたりしているし、3月の初めに都内でとあるイタリア系の企業に勤めるイタリア人2人に会った時も、「人に触れない挨拶なんて無理」と我々は普段通りに、会った時も別れる時も抱擁を交わした。

ブラジルのリオデジャネイロの地方新聞が、外出自粛の要請が出て以来市民にとって一番足りないと感じるものは何かというアンケートを取ったところ、1位は圧倒的に「人と触れ合うことができない」という結果になった。ラテン系諸国の「触れ合い」とは、その言葉が示す通り、ずばりボディタッチそのものを意味している。我々日本人にはこのボディタッチを敬遠する傾向があるが、考えてみたらそんな民族は他にあまり思い浮かばない。同じアジア圏でも韓国や中国の人は家族同士でも抱き合ったり撫で合ったりしている。

イギリスでも同じように人間触れ合い不足問題が深刻化しているという件が、お婆さんと孫がガラス越しで悲しげに見つめ合う写真付きでBBCで報道されていたが、記事を書いたオックスフォード大学の教授によると、基本的に社会的霊長類である人間にとって、家族や他者と触れ合ったり寄り添ったりするのは猿のグルーミングと同じ行為で、この“触れ合い”によって脳内で作動する神経細胞が苦痛を和らげるエンドルフィンを誘発し、ストレスを大幅に軽減しているのだという。人間がいちいちハグしたり頰にキスをしたり腕を組んだり頭を撫でたりするのは、あれは霊長類としての本能に結びついた仕草なのだ。

だとしたら、子供が成長すると親子同士でも滅多に触り合うことのない日本人は、一体どうやって日常のストレスを解消しているのだろう、という疑問も湧く。縄文・弥生時代の人間は普通にベタベタ触り合っていたかもしれないが、この際、この、人と触れ合おうとしない現代日本の生活習慣が、新型コロナウイルスにとってあまり好ましい環境じゃなかったとしたら、大変ありがたいことである。