再・家族の時間
その後、霊柩車に両親が乗り込み、私は妹の運転する車で火葬場に向かった。今までいわゆる大金をかけたふつうの通夜、告別式の経験しかない私にとって、ほぼ直葬の見送りは初めて。あまりの簡素さに少し、拍子抜けしていた。思い出すとお香典もお供物も用意していない。
「葬式は……これだけでいいんだね」
「コロナで人が集合できなくなったから、家族葬とか火葬式が一気に増えたらしいよ。皆『これでいいんだ!』と分かったら、お金と時間がかかる葬式やりたくなくなるよね」
妹は身寄りのない伯母の後見人として世話をしていたので、施設からいろいろな情報をキャッチアップしていた。
「ねえ、親父の葬儀もこれでいいんじゃない? もう友人もいないだろうし」
「でもお母さんのつき合いも親戚も近所もいるし、田舎はそうはいかないよ」
「私は独身でおばちゃんと立場も似ているから……直葬でいいなあ。盛大に見送ってほしいなんて全然思わない」
車中、そんな会話をしていると火葬場に到着。悲しみにひたる暇もなく、伯母は早々に荼毘に付された。火葬中、葬儀屋プランに入っているという、助六寿司弁当を家族4人で向き合って食べる。私が上京して家を出て、妹が結婚してからというもの、この4人で食事をするのは久々だ。最近はいつも妹の子ども(私にとって甥と姪)が一緒にいる。ひょっとしたら4人で行動をするのも、人生最後のシチュエーションかもしれないと想いがよぎる。
焼き終わった連絡を受け、そのまま遺骨を持って、私たちはまた車で施設に戻った。
「お姉ちゃん、しょっちゅう帰ってこれないと思うから、今日中に納骨もしてもらうことにしたんだ」
伯母の入居していた老人ホームは介護から納骨まで、一挙に引き受けてくれるシステムらしい。先述の施設長と車で霊園に向かい、小さな骨壷を納骨して、たった一日ですべてが終わってしまった。その後、伯母の遺してくれたお金で甥と姪を交えて精進落としをして、家族でよく笑った。もっともこの後に妹はあれこれと死亡手続きに奔走していたそうなので、見送りが一日で終わったということだが。
今回の伯母の終いを潔いと讃える意見もあるけれど、一方で気持ちに区切りをつけるためだと葬儀を推奨する意見もある。どちらがいいのか、自分にとって示唆に富むものがあった。今まで終いとは世話されるもの、という概念がマジョリティだったけれど、これからは自ら選択するものに変遷していくのかもしれない。

