「夫」になれない男たち

同年に刊行された『街とその不確かな壁』のヒロインは、主人公が高校時代に恋をしていた少女である。彼女は手紙を書いてくれる。そこには彼女が見た夢が綴られている。その内容というのは、「自分が妊娠しているらしいことに気がつく」というものだった。夢の中で、バスタブに裸で横になっていると、自分のお腹が大きいことに気づく。そしてその部屋に、大人の男の影が登場する。が、そこで手紙は終わりを迎える。唐突なシーンである。この場面はどういう意味だったのか最後まで明かされないままに終わる。作中、少女が堕胎したり母になったりした痕跡はない。ただ読者に「初恋の女の子が母のイメージを伴っている」ことだけ、印象付けて終わる。

それからわたしは自分のお腹がふくらんでいることに気がつく。でも肥満してふくらんでいるわけじゃない。だって身体の他の部分はみんなほっそりしているから。お腹だけが風船みたいにふくらんでいるの。わたしはそこで、自分が妊娠しているらしいことに気がつく。
(村上春樹『街とその不確かな壁』新潮社、2023年)

三宅香帆
(写真提供:講談社)

『街とその不確かな壁』の少女の正体には、「母」というイメージを何かしら伴わせる必要があったのだろう。しかしその「母」というイメージは、現実世界では成就できない願望を伴っていた。

それは『君たちはどう生きるか』にも描かれていたような、自分を産む前の少女だった頃の母親に出会いたかった、という願望である。

自分を産む前のお母さんと恋をして、自分を産んでもらいたい。――それが『街とその不確かな壁』と『君たちはどう生きるか』に共通する欲望である。

この物語を、マザコンだ、フロイトの読みすぎだ、と批判することはしたくない。なぜなら私はふたりの巨匠が同じ物語構造を描いたことに、日本のある欲望が露呈しているのではないかと感じるからだ。優れた物語作家は、自分の欲望を超えて時代の、社会の欲望を映し出す。まるで美しく磨かれた鏡のように。そして宮崎駿も村上春樹も、それをやってきた優れた作家である。彼らが描く物語は、私たちが生きる社会の物語そのものである。