対話の先に、あたらしい声

亡き人を語りて書きてそののちにもつと本当のことを思ひ出す
温かい冬の夜が来て 死んでもう会へぬ人があたらしいことを言ふのだ

一首目、この瞬間をおのれに感じ取れる人は、世界にどれほどいるのでしょう。亡くなったあの人はいい人だった。お世話になった。憎らしかった。羨ましかった。そうして言葉にして片づけ、記した後に、本当の想いが湧いてくる。人には言えない自分だけの感情。人前ではそう片づけられなかったからこそ、強く湧いてくる感情。それを私たちは自身が楽になるために時に見ないふりをします。その方が楽だから。格好がつくから。でも、米川さまはそここそをしっかりと見つめます。

二首目、「死んでもう会へぬ人があたらしいことを言ふ」とは死者に対峙していないと出てこない境地でしょう。「死んでもう会へぬ」と死者のラベルを貼って額縁に飾るのではなく、自分の内部にその存在を認めて、対話を続けます。それはおのれの内部と対話することでもあります。俗の世界で都合がいいこと、その方が丸く収まることで世界を渡り歩くのは楽です。でももっと内部に入り込んだ時、あたらしい声は聞こえてくるのでしょう。
 
をんな苦しみ深かりければアララギの靴を履き泥濘を歩きし


詞書には「三ヶ島葭子、原阿佐緒」とあります。原阿佐緒さまは以前取り上げましたが、三ヶ島葭子さまもまた、結社「アララギ」というひどく男性社会の中、歌を磨き上げていった歌人です。そのアララギの靴は、おそらく女性の足に合わない、男靴だったことでしょう。そんな履きにくい靴で、泥濘を苦しみながら確かに歩いていった二人に心を寄せる。時代も性別も世代も超えながらその心寄せには同情や親愛でべたつくことなく、確かな境界線があります。

ふむ、お嬢様はコンビニのイートインスペースで焼きプリン、ハーゲンダッツ、シュークリームを午後の紅茶でペロリと召し上がっておられます。そろそろ痩せにくくなる年なのに暴飲暴食がやめられなくってー、と舌を出しておいでです。そろそろ帰りますよ。ご両親が心配に心配を重ねておいでですよ。心配しないでほしい、過干渉なのよ、とお嬢様。差し出がましいことですが、お嬢様はいまおいくつ? ええ、35歳でいらっしゃいます。心配も過干渉もされない方法をなぜ選ばれないのですか? とぼけてはいけません。一人暮らしでございます。だって心配するだろうしー、とは、親離れ子離れできてないのは、どちらでしょう。ほら、コンビニに並べられている物件リーフレットを持ってくださいませ。お嬢様がお嬢様の道を歩けることを、まずはご両親に証明して差し上げるのです。
 

今回ご紹介した歌人

米川千嘉子(よねかわ・ちかこ)

1959年生まれ。「かりん」所属。1985年「夏樫の素描」50首で角川短歌賞を、89年『夏空の櫂』で現代歌人協会賞、94年『一夏』で河野愛子賞、2004年『滝と流星』で若山牧水賞を受賞。その他の歌集に『たましひに着る服なくて』『一葉の井戸』など。

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