行き当たりばったりの適当がおもしろいと見られるとき

行き当たりばったりの番組は考えなしのように見えるから、気兼ねなく楽に見られて良いのだろうけど、藤村くんは「人間は何をおもしろがるのか」を現場で本能的に考えている。「牛追い」とテーマが決まっても、危険そうならやらない。「虫追い」に変更して島に乗り込んでも現地ガイドが「虫はおもしろくない」と言うのならと、「虫追い」もやめる。

でも、誰もが「本題はウナギなんだから、エサのカエル探しはもういいだろう」と言っても、「カエル探し」はやめない。行き当たりばったりの適当がおもしろいと見られるときには、意外にしっかり考えて判断している人がいる、ということです。

嬉野雅道
(写真:『だから僕らは出会わなければならないのです。』より)

だとすれば、人が適当でいられる社会は、「人間のことをちゃんと考えている誰かがいる社会」ということになりはしないか。

だったら適当が好まれない厳格な社会は、「もう誰も、人間のことなどちゃんと考えようとはしなくなった社会」ということになるのか。