卒業生が吉晴の研究室を訪ねてくるのは、そう珍しいことではない。
近くまで来たので寄りました、と気楽に顔を出す者もいれば、実は仕事で大学に関わることになって、なんて思いがけない理由でやってくる者もいる。特に多いのは卒業から年数が経たない若者たちで、彼ら彼女らは新しい環境に対する戸惑いを抱えて頻繁に大学に戻ってきた。
「なんだかうまくいかなくて」「仕事で悩んでいます」「入社前に提示された待遇とぜんぜん違うんです」「子供ができたけど会社に言ったら怒られそう」。今にも窒息しそうな表情で悩みを打ち明ける元教え子たちに会うたび、吉晴は祖父母に習った笹舟遊びを思い出した。
笹の葉を折って作った手製の小舟を、近所の小川へ流すのだ。うまく流れに乗れば、小舟は糸で引っ張られるようにするすると手元から遠ざかる。しかし中には水面に突き出た岩に引っかかったり、小さな渦に巻き込まれて沈みかけたりする小舟もある。吉晴にとって元教え子の悩みを聞き、政治経済学部の教授というよりただの大人の一人として意見を返す時間は、よれながら手元に戻ってきた笹舟の水を払い、形を整え、再び川面に下ろす時間と似ていた。次こそは変なものに引っかからずに、川面をすべって遠くへ行くんだ、と淡い祈りが頭をかすめる。
三島の悩みは現在の仕事の状況と、自分の体調との兼ね合いに関するものだった。
子供の頃から三島は胃腸が弱く、アレルギー体質で、無理が利かない自分の体質を鑑みて福利厚生が充実した大手学習塾を選んだ。しかし実際に勤めてみると、提示されていた福利厚生は、制度はあっても職場の空気感として利用することが歓迎されない、張りぼてのようなものだった。二週間の新人研修が終わるやいなや、週休二日すら担保されない激務の日々が始まった。
一年目はまだ先輩社員がついていたため乗り越えられたが、二年目からは校舎の一つを任されるようになり、一気に業務量が増えた。残業や休日出勤を「生徒のために頑張っている」「やる気がある」と評価する社風だった。会社は「生徒第一主義」を理念として掲げているが、ノルマ達成のため、生徒にとって必要かわからない授業まで申し込ませるように本部からプレッシャーをかけられることもあった。
疲労と困惑に追い詰められ、三島は次第に衰弱し、先月とうとう通勤途中の電車内で貧血を起こした。限界を感じ、退職を考えている、と一年目に世話になった先輩社員に、時間を作ってもらって相談した。しかし先輩社員には、二年も続かずに辞めたんじゃどこに行ったって通用しない、それならもう数年がんばって、スキルを身につけてから辞めるべきだよ、と諫(いさ)められたという。
「だんだん、どうしたらいいのかわからなくなっちゃって……すみません」
なるべくわかりやすく話そう、と気を配っていたのだろう。半端に明るい顔のまま、三島の左の目尻から涙がこぼれた。吉晴はティッシュボックスを彼女の手元へ置いた。
