騒擾を利用すれば権力を奪取できる

トロツキーもレーニンも労働者の自然発生的な抗議活動には期待していなかった。しかし、レーニンはボリシェビキの職業革命家が指導することで、労働者の自然発生的なエネルギーを革命に転化できると考え、ゼネ・ストが有力な手段になると考えた。一方、トロツキーは、ゼネ・ストが成功して、労働者集団が権力を握ると反ボリシェビキになると考えた。そして、労働者大衆ではなく、テクノクラートを味方にすることが必要と考えた。

〈その後の事態の進展は、トロツキーの予見が正しいことを実証した。鉄道員、郵便局員、電信・電話局員、国家公務員、現業職員が仕事を放棄した時は、もう手おくれだった。トロツキーは、ストライキの腰を砕き、レーニンはすでに権力の座についていた。

党中央委員会及び革命委員会は、トロツキーの戦術に反対したが、この結果、蜂起の成功を危うくしかねない逆説的な事態が生ずることになった。クーデターの前夜、ボリシェヴィキ内部では、二つの指導部、二つの蜂起計画、二つの目的が錯綜し合っていた。革命委員会は、労働者、脱走兵を大衆的に動員し、彼らの力を借りて政府をたたき、その結果として国家権力を奪取することを目論んでいた。

他方、トロツキーは、千人あまりの秘密部隊員の力を借りて国家権力を奪取し、その結果として政府をたたくことを目論んでいた。マルクスだったら、この時の状況は、トロツキーの計画よりも、革命委員会の計画の方に有利だと判断しただろう。だが、トロツキーは、確信をもって、こう断言していた。「反乱を起こすためには、有利な状況など必要ない。反乱は、状況とは無関係に起こすことが可能なのだから」〉(同前、117~118頁)

マラパルテによれば、騒擾を巧みに利用して、権力を奪取することは可能なのである。筆者は、1991年8月のソ連共産党守旧派によるクーデター未遂事件から同年12月のソ連崩壊までの過程を日本の外交官として目の当たりにしたが、ロシア共和国のボリス・エリツィン大統領らは、まさにトロツキーの技法によってソ連のテクノクラートを味方に付けることで、国家権力を奪取した。情勢が今後、一層混迷を深めればアンティファに便乗した過激派が権力を奪取する可能性は十分にある。

アンティファをはじめとするアナーキスト系ネットワークの脅威に対して、日本政府ももっと関心を持ち、調査すべきだ。この作業に最も適しているのが法務省の外局である公安調査庁だ。

筆者は外交ジャーナリストの手嶋龍一氏と共著で7月に『公安調査庁』(中公新書ラクレ)を上梓したので、是非目を通していただきたい。

(2020年6月26日脱稿)