10万石を「餌」にした秀吉の誘い
そうした中で起こったのが、徳川家の家老・石川康輝(数正)の出奔事件でした。
康輝は徳川家の中で秀吉への取次を担当していましたが、秀吉との軍事的緊張が高まるに従い、家中で孤立し、秀吉を頼り、出奔したのです(1585年11月)。
『徳川実紀』(19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式史書)は、康輝出奔は秀吉が10万石を「餌」として康輝を味方に引き付けたからと記されています(後に信濃松本8万~10万石に転封)。
康輝は家康の年少期から近侍した人物。
家康の懐刀であり、軍事機密を含む徳川家の内情を知り尽くしていたと言って良いでしょう。
