「やっぱり、創造性がある人はすごいですね。イメージがすっと腑に落ちました」
「いやあ、宣伝やってて言うのもなんですけど、創造性でやる仕事なんて虚業ですよ、虚業。毎日売り場に立って、一人一人の人間と向き合って、地域社会と経済を回している永野さんの方がずっと立派だと思います」
「でも、福来屋日本橋本店の、お客様との三つの約束の一つですよ、創造。誠実な商いを行います。創造的なお買い物体験をご提供します。いつも笑顔でお迎えします」
「すみません、ちょっと悪ぶりました。大事だと思います、創造性」
「あははっ」
おどけた返事を受け、敦子は思わず声を出して笑った。そういえば、と軽い口調で岩本は続ける。
「日本橋本店の改装プロジェクトの会議でも、しきりに連呼されてますよ。創造性、創造性、って」
「改装後のビジョンってもう見えてきているんですか?」
「文化の発信地っていう百貨店の基本理念に回帰する流れが強いですね。一階にかなり広い編集売り場を作って、お客様が出会ったことがない素敵なものを国内外から発掘してご紹介しよう、福来屋ならいつ行っても面白いことをやっている、と思ってもらえるようにしよう、と社長が意気込んでいます」
「おお、熱い」
「熱いですよね。社長が来るたびに会議室の体感温度が上がって、暑苦しいってんで企画本部長がさりげなく暖房の設定温度下げてますもん」
「やっぱりちょっと変ですよね、うちの会社」
「建物の工事中に作られた雀の巣を、屋根の形を変えてまで残して、そのままシンボルにしちゃった人の末裔が運営する会社ですからね」
「自由だなあ」
「そういう突拍子もないこと、やってみたいですよね」
「創造性ってそういうものなんでしょうか。心のまま、みたいな」
「どうでしょう? でも、そうですね、心からしか、生まれないでしょうね」
地下鉄へ通じる下り階段が見えてきた。ここからさらに徒歩五分のJRの駅へ向かうという岩本は、足を止めて敦子へ振り返った。
「創業者がそれだけ自由だったんだから、永野さんも、暴れ龍の世話をしている自分をたくさん褒めて、ボーナスでなにかいいもの買った方がいいですよ」
「ボーナス! そうだ、ボーナス……来週支給ですね。やった」
「永野さんは、ボーナスはいつもどう使うんですか? 推し活とかしてます?」
「うーん……将来も不安だし、ほぼ貯金ですね。あとは、奮発してちょっと良い毛糸を買うとか……」
あ、と小さく声を上げ、岩本は穏やかな笑みを浮かべながら、まるで押し留めるような仕草で、敦子にてのひらを向けた。
「そこで毛糸を買うのは違いますね」
「違いますか」
「僕が良い毛糸を買うのはちゃんと自分へのご褒美になりますけど、永野さんにとっては、どちらかというと仕事への先行投資じゃないですか。ストレスを解消してまた働くっていう小さなループに、自分からはまりにいってます」
「ああ……」
「ボーナスですよ? もっと自分にとって楽しくて突拍子もない、素敵なご褒美を買いましょうよ」
敦子はぼんやりと岩本の顔を見返した。
ご褒美? なんだろう。こういう場面でよくあるのは高額なアクセサリーだろうか。いやでも、仕事中に着用できないものは人生の大半で着用できないので、それに大金を出すのは気が進まない。欲しいもの……仕事中に汗をかきやすくて辛いから、吸汗速乾の高機能インナー? いや、それは普通に必需品として買うべきだ。
「永野さん、今すごく、無! って感じの顔してますね」
岩本は奥歯を噛みしめているみたいな、ぎこちない表情をしている。どうやら笑いをこらえているらしい。敦子は眉間にしわを寄せた。
「創造性が……ないんですよ」
「なに言ってるんですか。二十五年間も、お客様に贈り物の提案をし続けてきた人が」
「あ」
そうか。自分をお客様に見立てて、いつもの仕事と同様に、ニーズを汲み、予算を決めて、適切な商品を選べばいいのか。思わず手を打つと、岩本はこらえきれないとばかりに噴き出した。笑いすぎて、肩が震えている。
「つ、次にお会いするときは、ボーナスでなにを買ったか、ぜひ教えてくださいね」
「ご期待に添えるような面白いものになるかはわかりませんが、はい」
「おやすみなさい。また明日も、がんばりましょう」
地下鉄の入り口で、お互いに片手を上げて別れた。ブルーグレーのコートを着た岩本の背中が人波に紛れて遠ざかる。
―光る龍を迎えている。
敦子は自分のてのひらを見た。まだ軽やかな鱗の感触が残っている気がする。
人に自慢できるような立派ななにかは持っていないけれど、私は、私だけが存在を感じる、龍のてざわりを知っている。
純粋に買い物のみを目的として、休みの日に職場を訪ねるのは初めてかもしれない。
でも、従業員割引を利用したかったし、早番の帰りにさっと見繕って、とかではなく、じっくりと時間をかけて自分にご褒美を選びたかった。
敦子はなるべく知り合いに見つからないよう、手製のマフラーを口元まで引き上げ、顔を半分隠しながら福来屋日本橋本店の入り口に立った。正面玄関横の雀の一家は、サンタ帽と雪の結晶柄のマントを身にまとい、長いマフラーを首に回している。すっかり冬支度を終えて、暖かそうだ。敦子はこちらに顔を向ける親鳥のくちばしにつん、と触れた。
―それで、今日はどのような商品をお探しですか。
頭の中で、声が響く。プロとして二十五年間、磨き続けた自分の声だ。どんな悩みを話したっていい。心の奥底で求めていたものを、きっと一緒に見つけてくれる。
―ご褒美がほしいんです。仕事を回すためとか、自分を立派に見せるためとかじゃない、本当の、私のなかでわっと喜びが湧く、ご褒美が。
毎日、毎日、奔放な龍を迎え続けた永野敦子は、そんな大きな望みにも怯むことなく微笑んだ。
―それでは、こちらへどうぞ。
端正な声に導かれ、光で満たされた扉をくぐる。
(了)
本作品は11月21日に単行本として発売されます。どうぞお楽しみに。
