「これは間違いなく心臓ですね」

青天の霹靂以外の言葉が見つからないのだが、一通り診察を終えた医師は、「これは間違いなく心臓ですね」と私に言った。私にとって、「心臓」に異常があるだなんて、絶対に信じられないことだった。なぜなら、私はすでに、心臓を治していたのだから。

私は、「部分肺静脈還流異常」という先天性の心臓病を持ってこの世に生を受けた。子どものころ、私を診察してくれていた主治医によると、「そんなに重大というわけではない」状態ではあったものの、7歳の時に開胸手術を経験している。そんなに重大ってわけじゃないとは言いつつも、開胸手術をするぐらいなんだから、まあまあ重大だったんじゃないかとは思う。とにかく、開胸手術以降は、あくまで普通に暮らしてきた。運動制限があったのは中学生までで、自分自身も心臓手術のことなんて一切気にすることなく青春時代を過ごし、周りの友人たちと変わらない生活をし、大学を卒業してからも、普通に働いた。結婚もしたし、出産もした。体調が悪くなるまで、健康診断で心臓の異常を指摘されたことなんてなかった……心音に少し雑音が混ざっていますね、というひと言以外は。

そんな私が、両脚がむくんで駆け込んだ病院で、「これは間違いなく心臓ですね」と宣告されたというわけだ。まさか! という気分だったが、呆然としてしまって、驚くこともできなかった。「どうしたらいいですか」と聞く私に、医師は「明日、朝いちばんで大きめの病院に行って下さい。すぐに紹介状を書きますので」と答えた。私は、一旦は家に戻ってもいいですという医師の言葉を半信半疑で聞きながらも、家に戻ってもいいということは、すぐに死ぬというわけでもないなぁと、のんきに構えていた。のんき過ぎる。

翌朝、夫に車で送ってもらい、大きな病院の循環器科で診察を受けた。後に私の主治医となる若い女性医師が、心配そうな表情で「弁膜症の疑いがあります。ここの弁が、エコーで見るとピロピロになっているんですよね」と、心臓の模型の一部をボールペンで指しながら言った。ピロピロか。ピロピロという言葉で少し慰められる思いだったが、心配そうな表情の医師は、すぐに入院して下さいとも言った。複雑な心境のまま、指示に従い体重を量ると、なんと、数日前より8キロも増えている。すべて、胸水と腹水らしい。即入院、車椅子で救急病棟直行と言われた私は、車椅子を押されながら、不思議と安心していた。これで助かった、あの若い先生が私を救ってくれる。入院は3日ぐらいかなあと、救急処置室の窓から見える、東横インの青いネオンサインを見つめながら、そう考えていた。

結局のところ、このときの入院生活は3週間という予想外の長さになった。怒濤の検査を経て下された病名は「僧帽弁閉鎖不全症」。この病院を退院後、手術が可能な大学病院に転院、生涯二度目となる心臓手術を受けることとなった。闘病生活はトータルで3ヶ月に及んだ。

手術が決まった日、階段を上ることも、歩くこともままならなかった私が心に決めた目標がある。それは、「ひとりで入院し、ひとりで歩いて、元気に退院すること」。この目標を達成するまでの私の挑戦の物語に、しばしお付き合い下さい。

【次回】「心不全になったら、心臓は二度と元には戻らない」と宣告された日

【この連載が本になります】
『更年期障害だと思ってたら重病だった話』
村井理子・著
中央公論新社
2021年9月9日発売

手術を終えて、無事退院した村井さんを待ち受けていた生活は……?
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