「ギロチンシャッター」を許容してくれる懐の広さ

婚姻届を提出してからの8年間、兼光さんが仕事を定年退職するまでは別居結婚でした。私は俳句イベントなどで全国を飛び回っているし、彼も仕事で大阪と東京を行ったり来たり。だから「今度の週末はどこにいますか?」と連絡を取り合って、東京や地方で会うことが多かったですね。

でも、待ち合わせをしても、毎回なかなか落ち合えません。というのも私はとんでもない方向音痴だし、電車を調べたりするのも苦手なので、待ち合わせ場所に辿りつけないのです。それに、電車の切符もすぐになくすので、改札口から入ると彼が回収して、保管しておいてくれます。

あと、私、半年に1度くらい携帯電話を落とすんですが、パニックになっても、彼がテキパキと処理してくれる。一時が万事、そんな感じで、本当に助かっています。

4年前、兼光さんが65歳で退職するのを機に、松山で一緒に暮らすことになりました。それからは私のマネージャーという立場で、24時間一緒にいます。料理も、正式に作ってくれるようになりました。私だって、作れないわけじゃないんですよ。でも、彼が作るほうが圧倒的においしいという事実が目の前にある。

同居を始めた当初は、「奥さんらしいことを少しはしないと、そのうち愛想をつかされるのでは」という思いも、ちょっとはありました。それで台所に立とうとすると、「仕事をしてください」「原稿の締め切りを守ってください」(笑)。あぁ、そういうことをやらせてくれるんだと思って、感動しましたね。

彼は、「夏井いつきとしての仕事を大事にしてください。加根いつきとしては、適当でいい」と言います。そんなことを言ってくれる男の人がこの世におるとは、正直、思わんかったですよ。結婚して、仕事が格段にやりやすくなりました。

俳句に限らず、私は「こういうことができたら面白いな」と何か思いつくと、目の前のことが“お留守”になります。普通に会話していたのに、突然、話しかけても応えなくなったり。子どもたちは「またギロチンシャッターが下りた」と言ってあきれていました。

でも兼光さんは、私が食事中に急に立ち上がってどこかへ行って違うことを始めようが、ギロチンシャッターが下りようが、許容してくれる。そういう点もありがたいです。