本書の「燃える」もう一つの炎は、澤田との恋だ。

彼の情熱にふれて、帆奈美が体を開いていく場面は凄すさまじく官能的。行為中の観察眼とこれでもかというほど女性の心理を浮かび上がらせ、好きな相手に支配されたい帆奈美の本心を抉り出していく。

二人が夜を分け合う描写はここしかないにも拘(かか)わらず、一度放たれた熱は冷めることなく、後に繰り返される夜を勝手に想像してしまう。

ふと『ダブル・ファンタジー』を読んだ時の衝撃が蘇(よみがえ)った。

人生半ばを過ぎて、それなりに成熟したつもりでも、人は様々な「波」に翻弄(ほんろう)されるのだろう。

愛という「波」もそうだ。

愛は冷えてしまえば消え失せ、熱いままでは燃え尽きる恐れもある。ちょうどよく保つのが理想かもしれないが、そううまくはいかず、どちらかに傾いては揺り戻そうとする。
愛は暴走するエネルギーにもなるし、なければ生活は色あせてしまう。

帆奈美の出した結論は、自分の中の「波」をきちんと受け止めた上のものだと思う。

自在にならない「波」だけど、なければきっとつまらない。

時に想定外の「波」に流されたり、翻弄されるのもまた人生で、何の変化もなければ、どんな感情も生まれない。

一人であっても、二人でいても、それはたぶん変わらない。

一人の「波」は回流しながら心を動かし、二人の「波」は互いにぶつかりながら、人生の新たな流れとなっていく。

「波」は引いて押し寄せながら自我という砂の城を築き、それを熱い「波」が壊していく……けれどそのことをあまり怖いと思いたくはない。「波」から逃れるのではなく、そのエネルギーに人生をゆだねてみるのも悪くない。もちろん溺れない程度に。

そして再び城を築いていく。そんな勇気をくれる小説だ。

(なかえ・ゆり 女優・作家・歌手)