引いては押し寄せるもの
本タイトルの解説をするのは無粋でおこがましいが、あえてしてみたい。
「波」は本書の中でいくつかのメタファーとなっている。
まずはラジオ電波の「波」。
主人公・三崎帆奈美(みさきほなみ)の愛称「ナミ」。
ラジオの波は、あらゆる音を届けてくれる。映像なしで想像する楽しさという意味で、音のラジオと文字で綴(つづ)る小説には親和性があるが、音の波はいきなり飛び込んできて、心をさらっていったりもする。
帆奈美を「ナミ」と呼ぶ男性の抱く、親しみを超えた好意。
どちらも目に見えない「波」である。
感情、調子、時代……とどまることのない動きをたとえる時に「波」という字はふさわしいのかもしれない。
でもまず想起されるのは水や海水の流れを指す「波」だろう。それを「燃える」と形容した途端、官能的な空気を帯びるから不思議だ。
水の冷たさと炎の熱が絡まりあうような小説、それが『燃える波』である。
前者の象徴は、帆奈美の結婚生活。衣食住のプロデュースをするライフ・スタイリストとして活躍する一方、家庭では十年寄り添ってきた隆一(りゅういち)との関係は冷えている。
(愛していないわけではない。
――たぶん。少なくとも、大切には思っている。)
この言葉に象徴されるように、帆奈美の隆一への感情は、愛情よりも妻としての義務、責任によるものだ。
たとえばどんな建物も古びていくが自然になくなることはなく、解体するのに手順が必要なように、夫婦関係はすでに壊れていても、どちらかが本気で解体しなければ形骸化して継続される。冷えてしまった関係は、冷蔵庫の氷と同じく、一旦外に出して溶かさなければ、霜(しも)にまみれてそこにあり続けるのだ。
帆奈美の冷えた夫婦関係が、彼女の仕事にも影響を及ぼしているから厄介だ。
夫の(どうでもよい)メンツやプライドや常識を長年呑(の)んできた帆奈美は、本来自由であるはずの仕事の選択まで夫に気遣って遠慮がちになっている。そのことによってキャリアだけでなく、彼女の自信まで奪っていることに気付いていない。
私自身も覚えがあるが、強くでる相手に対しては対抗するより、その場をとりあえず収めようとする。しかし行き過ぎた我慢は心を凍らせてしまう。