学校では、ブラジル、中国、韓国、カメルーン、ロシアなど、さまざまな国、さまざまな世代の友達ができました。毎週試験があったので、週末クラスメイトと一緒にスターバックスで勉強をしたり。日本での仕事や私のバックグラウンドとは関係なく、気が合うから友達になる。そんな環境に身を置くことが、私にとっていい治療薬になったのでしょう。

あの時、日本から逃げ出す気力がわずかでも残っていたことは幸いでした。後から思えば、その決断が大きな転機だったのですね。

とはいえ、それで完全に気持ちが切り替わったかといえば、そう簡単ではなく――帰国してからも、つらい気持ちがしょっちゅうフラッシュバックしていたのです。

 

ひとりの時間を無駄にしたくない

離婚を決意するまでには時間がかかりました。やはり結婚より離婚のほうが、考えるべきことがたくさんあります。それにお互い仕事上の責任もあるので、自分の気持ちだけで物事を動かしにくい複雑さも。

ただ、離婚より乳がんが先だったのは天の計らいかな、とも感じました。命にかかわる病気をしていたことで、あれ以上に大変なことはない、死ぬこと以外はかすり傷だという感覚になれたのです。

どんなに精神的に追い詰められ、突き落とされても、病気の経験があったから生命力を保っていられた。「キャンサー・ギフト」という言葉がありますが、私にとって、苦しい時期に自分を支えてくれたのは病気の経験でした。それがなかったら、あるいは持ちこたえられなかったかもしれません。