その2年後、がんが左大腿骨に転移したけれど、あの人は有り金をじゃんじゃん使って、いさぎよく死んでやると息巻いていました。同じくらいの時期にオヤジのがんが肺に転移して、あっという間に死んでしまったことを報告したときは、さすがに驚いた顔をしていた。それで少しは“死”にリアリティを持ったのかもしれない。でもだからと言って、なにも変わらなかったですね。

墓を買ったり、仲のいいカメラマンに遺影を撮ってもらったり、死ぬ気まんまんで準備をしていたけど、本人はがんでは死なないと思っていたんじゃないかな。どんなふうに死にたいとか、死後の要望とか、あの人の口から聞いたことないですから。

「老いようが、がんになろうが、おふくろと僕の関係性を変えないようにしていました」(広瀬弦さん)

一緒にいるのは3日が限界

その代わり、病人らしさのかけらもない、けんか腰の電話を毎日かけてきていました。とにかく口が達者なんですよ。しかも、自分の言葉でさらにヒートアップしていくタイプ。子どものころから、そんな人間相手にけんかをしてきた僕も弁は立つほうなので(笑)、一度言い合いがはじまるとかなり激しくなります。毎日やっていたら、こっちの身がもたないので、最後の3年ほどは、あの人の家で同居することにしました。

いや別に、心配だったわけじゃないんです。振り回される度合いを軽減するための防御策が「同居」だっただけ。あの人は「私は病人なんだから、あなたが言うことを聞くのは当然」と思っているから、わがままが増え、もっと自分の話を聞けとなる。それに応えないと、感情をぶつけられて、僕は大変な目に遭います。

とりあえず同居しておけば、あの人も納得するかなと思ったんです。それで、投げつけられる言葉や飛んでくるわがままが、多少なりとも変わるんじゃないかと。でも、結局振り回されて、一緒にいるのは3日が限界。ふらっと家を空けて気分転換しないと、やってられませんでした。