最後の言葉は「また会おうね」
結婚生活は形だけのものでしたね。旦那は遊び人で、ほとんど家に帰ってこない。あたしのほうも真剣に愛してたわけじゃないから、どうでもよかった。旦那の葬式の日に、知り合いの女性が棺桶にすがって泣いていて、ずっと浮気していたのがわかった時はさすがに驚きましたけど。
そしたらさ、ある日Sさんから電話がかかってきた。会いたいとかいうのではなく、あたしの仕事のことで。どこにいるのか聞いたら浅草にいるというんで、「うちに来ませんか」と誘ったの。久しぶりに声を聞くと、会って話したくなってね。
「結婚してるのに、家に行っていいのか?」「亭主だなんて思ってやしませんから。先生以外に男をつくろうなんて、考えたことありませんよ」。そんなやり取りをして、車でやってきたSさんを家に上げ、お茶の準備をしていたら、いつも家を空けてる旦那が、ふらりと帰ってきちゃった。
「じゃあ帰るよ」と腰を上げたSさんを、必死で追いかけました。そうして、車の座席に乗り込んでいたSさんをのぞき込もうと身をかがめたら、驚いてこちらに顔を向けた彼とガラス越しにキス。偶然だったんだけどね。Sさんは、「また会おうね」とひとこと。でも、それが最後でした。
Sさんはその日国会で倒れたんです。病院に担ぎ込まれても意識が戻らない。誰が声をかけてもダメで、藁にもすがる思いで取った窮余の策が、あたしのレコードを流すことだった。で、『瞼の母』の名ゼリフ集をかけてみたら……なんと目をパッチリ開けたんですって。すぐに奥方が紙と筆を持たせ、「あなた、なんでも言いたいことを書いて」と言うと、力を振り絞って「昭子」と。それでこと切れた。昭子って、あたしの本名なんですよ。その話を聞いた時には、改めて悪い女だったと思った。でも最後に「キス」できたのは、神様の思し召しだったのかしらねえ……。
余談ながら、あたしのレコードを買いに行かせたのは福田赳夫先生。政治家にはSさんとあたしのことを承知している人が何人かいて、Sさんのお座敷に呼ばれていた頃には、若手だった小渕恵三先生を通してご祝儀をもらったりしていたんですよ。