2018年、『婦人公論』の取材に応じた林家こん平さん(撮影:藤澤靖子)
21日、『笑点』の解答者として知られる落語家の林家こん平さんが17日に、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去していたことが報道された。2004年8月に、難病の多発性硬化症を発症したこん平さん。右半身のマヒと言語障害を抱えながら、一時は舞台に上がれるまでに。しかし13年春、糖尿病の悪化により再び倒れ、生死の境をさまよう。その後、療養生活を送るなか要介護4から2へと劇的に回復。その原動力となったのは……?  回復までの道のりを、マネージャーを務める次女・笠井咲さんと語り合った記事(2018年11月)を配信します。(構成=福永妙子 撮影=藤澤靖子)

あとから振り返ると倒れる前兆があった

 こん平師匠、右手のマヒはどんな状態ですか?

こん平 (両手を閉じたり開いたりの動きを見せながら)こうですね……。

 卓球は?

こん平 やってますよ。

 よくなってきてはいるものの、体が思うように動かず、話すこともまだまだ不自由な状況は、きっと歯がゆいでしょうね。父はこれまで、走りに走ってきた人。『笑点』も真打ちになる前の23歳でレギュラーになったし、売れっ子になってからは、「こんツアー」という旅行代理店をつくったり、副業にも精を出して。60歳で盛大に還暦パーティーを開き、その数ヵ月後に倒れる、というのはスピード感がありすぎですけどね。

最初に倒れたのは2004年8月、日本テレビ『24時間テレビ』内での『笑点』収録の日。番組収録が終わったとたん、意識は朦朧、体が動かなくなったんです。それで、すぐに病院に行って。

こん平 う〜ん、その頃のことはまるで覚えていない。

 多発性硬化症という原因不明の難病でした。脳や脊髄といった中枢神経が侵される病気だそうで、父の場合、右半身にマヒが起こり、話すこともできない。突然、体が動かなくなり、言葉を失うなんて……。現実をなかなか受け入れられませんでした。61歳のときね。

こん平 自分がそうなって、ただただびっくり。

 あとから振り返ると、前兆のようなものはありました。「右手が痛い」「声が出にくい」と言っていたものね。倒れた日の朝も、「何だか仕事に行きたくないなあ」って。そんなこと言うの、はじめてだった。

こん平 うんうん……。