ヴェルサイユからやってきた絶滅動物

同園はもともと、その名のとおり薬草を育てるところだった。18世紀にささやかな博物館が追加され、動物学者、植物学者、解剖学者、化学者のつどう科学センターとなっていた。そしてフランス革命下の1793年、国民公会(議会)は自然史博物館をつくり、王立薬草園を「ジャルダン・デ・プラント」として博物館に組みいれることにする。

結局、ヴェルサイユの動物は、同園で殺して標本にするよりは、そのまま飼うほうが研究にも役だつと判断された。こうして動物飼育エリアがつくられ、博物学者エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレール(1772~1844)が監督することになった。彼のいた1840年ごろまでが、ジャルダン・デ・プラントの黄金時代といわれる。

ヴェルサイユからやってきたのは、ライオン、それにいまは絶滅動物となっているクアッガ(前半分だけ縞があるウマの仲間)などだった。さらにパリ警察が、路上での動物の見世物は暴動のもとになりかねないということで、動物をさしおさえて飼育者ともども博物館の飼育エリアに連れてきた。こうして、ジャルダン・デ・プラントにいる動物は充実したものの、まにあわせの飼育舎とエサ不足のせいで長生きしなかった。

フンボルト博物館(ドイツ)に展示されているクアッガの剥製(Naturkunde Museum, Berlin.)

動物が足りないのなら、フランス軍が蹂躙(じゅうりん)した国ぐにのメナジェリーから略奪すればよい。というわけで1798年には、オランダのヘット・ローにあったメナジェリーから、2頭のゾウをはじめとする「戦利品」が、スイスのベルンでは、市の紋章にもなっているクマが略奪され、イタリアのメナジェリーもおなじ目にあった。

つまり、運営者や設立目的こそ違えども、動物園もまた、むかしの動物コレクションとおなじく「支配をあらわす場」であったわけだ。