昼絶食か…(撮影:村井さん)

両親はカテーテル検査を強く恐れていて…

主治医に手渡された同意書にサインしながら私は、今まで経験してきたさまざまな検査について思い出していた。子どもの頃の記憶で強く残っているのは、カテーテル検査だ。鼠径部の動脈からカテーテルという細い管を入れ、心臓まで到達させるという怖ろしい検査である。小学1年生で入院・手術をする前に数回、私はこのカテーテル検査のための入院を経験していた。

当時、両親はこのカテーテル検査を強く恐れていた。というのも、当時の主治医の検査前の説明が、あまりにも緊迫感に満ちていたのだ。「万が一のことがありますので……」とか、「楽な検査ではありません」とか、「出血が止まらなかった場合……」なんてことを言いながら、白い紙に心臓のイラストを描き、説明してくれたのを記憶している。

その当時は、実際に危険を伴う検査だったのだろう。主治医の横顔は疲れ果てており、それなのにとても真剣で、長い間、髪を切ることもままならないほど病院にいたはずの主治医のこめかみのあたりに、伸びてしまった髪がはらりとかかっていた。白衣の下は、いつもと同じセーター姿。いつもの先生なのに、その日は別人のように見えた。

子どもの私にもその緊迫感は十分伝わってきた。検査内容を説明された親は、不安でたまらなかっただろう。そして当然、私自身も衝撃を受けていた。しかし、我慢強い少女だと言われ続け、褒めちぎられていた私は、自分でもそう信じ込んでいた。だから、泣くことも狼狽えることもできず、無表情で処置室に向かうしかなかった。

検査自体の記憶は一切残っていない。検査後の入院についても、どうしても思い出せない。もしかしたら幼い私が自分の心を守るために、記憶の削除をしてしまったのかもしれない。残っているのは、背中に感じる冷たい手術台の居心地の悪さだけだ。