1980年10月5日に東京・日本武道館で行われたファイナルコンサートで、「歌い継がれてゆく歌のように」を熱唱する山口百恵さん(写真提供:共同通信社)

トップアイドルの座をつかんだ山口百恵

当時の気持ちとして、私にとって、南さんは《長女》のような存在。そして《次女》は山口百恵さんです。初めて彼女に会ったのは71年。13歳にしては大人びていて少し陰があり、なにより美しい顔立ちの持ち主。「この子はきっと大スターになる」と直感しました。

ところがデビュー曲「としごろ」は、音域の狭さもあって、セールスは思うように伸びなかった。そこで2作目では清純なイメージから一転、「あなたが望むなら何をされてもいい」と歌う「青い果実」のリリースに踏み切ったのです。「禁じられた遊び」「ひと夏の経験」と続き、のちに「青い性路線」と呼ばれるようになる一連の作品には、全国のPTAから非難が殺到しました。しかし、それが話題になり、一作ごとに表現力を身につけ、大ヒットを連発した結果、山口百恵はトップアイドルの座をつかんだのです。

とはいえ、デビュー当時の彼女は、なぜ自分がこのように刺激的な歌を歌わなくてはいけないのか、と戸惑っていたかもしれない。山口百恵という人は、どんな提案に対しても「はい、わかりました」と静かに受け止め、決して感情を表に出すことはありませんでした。たとえば映画監督から世阿弥の「秘すれば花」という言葉を教えられたことを話していても、その受け止め方に感心したことがあります。人知を超えた神秘的な人であったことは確かです。顔も内面も菩薩のようだと私は思っていて、そのイメージから生まれたのが「曼珠沙華(マンジェーシャカ)」という歌でした。