軍用動物の慰霊祭に参加したワンリー(秋山正美『動物園の昭和史―おじさん、なぜライオンを殺したの――戦火に葬られた動物たち』データハウス、1995年、125ページ)

目当てはキリンのつがい。来場者が年間100万人を記録

その2年後、清国(中国)からやってきたシフゾウ2頭や、シャム(タイ)皇帝から天皇に贈られたゾウ2頭があいついで飼育される。シフゾウは、伊藤博文が天津条約を結んだことを理由にしてとうとう手に入れたものである。

戦争で獲得した動物の展示もおこなわれたし、日露戦争(1904~5)のあと、東南アジアで活動する日本人が増えると、この方面から動物が寄贈されるようになった。また韓国を併合(1910)すると、李王家の離宮・昌慶宮にあった動物園からカバが送られてきている。さらに、オーストラリアのムーア・パーク動物園(1881年開園)やメルボルン動物園(1862年開園)、ワシントン国立動物園とも動物交換をおこない、珍しい生きものの入手に成功した。

またアメリカだけでなく、日本の動物園史にも少なからぬ足跡を残しているのが、ドイツ人ハーゲンベックである。彼は上野動物園に、ライオン、ホッキョクグマ、ダチョウなどきわめて人気のある動物たちをもたらしている。

1900年から「動物園監督」となっていた石川千代松が、ハーゲンベックとの交渉にあたった。1907年にハーゲンベックからキリンのつがいを購入したときは、ひと目みんと人びとがおしよせて、年間100万人を記録した。

ただし、キリンたちはそれぞれ到着してから9カ月と1年で死んでしまう。これはラクダ舎を改造した、暖房設備も整っていない急ごしらえの飼育舎で飼っていたためである。

そのほかにも、飼育に悩んだエピソードは多い。有名なのは1888年にシャム皇帝からプレゼントされたゾウだ。2頭いたうちメスのほうは5年で死亡し、オスは飼育員や来園者をケガさせるなどだんだん危険になってきた。

現地からゾウ使いをよびよせてなんとかならそうとしたが失敗し、結局足をすべて鉄鎖につないでいたところ、虐待だと国内外で批判されるようになってしまう。このゾウはのちに浅草花屋敷に引きとられたが、1932年に死亡している。