京都市動物園の様子(1913年当時/京都市、京都市動物園編『京都市動物園80年のあゆみ』上林紙業、1984年、19ページ)

日本で2番目に作られた京都市動物園

上野動物園に続いてつくられたのが、京都市動物園である。京都市では、皇太子(のちの大正天皇)結婚のさい、市民が東宮御慶事奉祝会を組織して、記念物の建設費を市に寄付した。京都市はこれに市費をくわえて、第4回内国勧業博覧会の跡地に動物園をつくることを決定、1903年にオープンした。開園当初の敷地面積は、3万4059平方メートルであった。

タイワンザル、ニホンザル、アシカ、ラクダ、トラ、オシドリ、クジャクなど哺乳類11種24頭、鳥類50種214羽と、スタート時点での規模はさほどではなかった。しかしここでも1907年以降、ハーゲンベック社からホッキョクグマ、ライオン、ダチョウ、シマウマ、さらに日本初渡来となるナンベイバクを入手するなどして、バリエーションを増やしていった。とくにライオンたちは日本ではじめて4頭の子を産み、うち1頭は人工哺育で育てられた(京都市 1984)。

なおハーゲンベックは、大阪市立動物園(天王寺動物園)にも動物を供給している。大阪市立動物園には、じつは前身があった。府立大阪博物場附属動物檻といって、文字どおり動物をオリに入れてみせていたものだ。

1903年には、第5回内国勧業博覧会の会場外に「余興動物園」が開かれる。同園は、ゾウ、ヤマアラシ、トラ、ライオン、ニシキヘビなど外国産49種、国内産14種を飼育し人気となったが、大阪府は、博覧会後にこれをゲットしたら一気に動物檻を充実できるので、うち8種を見積もり価格約1万円のところを5000円まで値切りまくって買いとることに成功した。

しかし、本来は商品をならべる博物場に、動物の発する臭いや奇声はふさわしくないし、しかも1909年に大火が発生したときは、あわや動物檻にも燃えうつって大惨事となるところだった。もし大阪の中心地で動物が逃げたら大変だということになって、大阪府は大阪市に動物たちをただで譲り、天王寺公園に動物園がつくられることになった。