私の背中を物差しで叩いた先生

手術で胸骨を縦割りする前に、胸の辺りの皮膚もかなり長く切っているのだから、痛いのは当たり前なのだが、私が記憶している痛みは、とにかく強いものだった。手術直後、自分がその痛みをどのように克服して、乗り切ったのかという記憶はない。とにかく、体が動かなかった。体中に管が繋がっていた。歩くことはおろか、起き上がることもできなかった。

次に私が覚えているのは、長方形のアルミ板に包帯を巻き付けて主治医が作ってくれた、お手製のギプスのような器具だ。それを胸の傷に当てて、そのうえからぐるぐるとさらしを巻いて上半身に固定する。当時私が聞いていたのは、「これをしっかり巻いておかないと、骨がくっつかないから」という理由だった。

ぐるぐる巻きにされるとなんとなく痛みが軽くなるようだったし、病人っぽい雰囲気が出るので、私は好きだった。手術からずいぶん長い間、その板を上半身に巻き付けていた記憶がある。たぶん、数か月はお世話になっていたはずだ。何度も包帯を巻き直されたその板は、使われなくなった後も、しばらくわが家に保管されていた。

結局、成長期にあった私は、開胸手術の痛みをずいぶん長い期間経験することになった。痛いと信じ込んでいたのか、それとも実際に強い痛みを感じていたのかははっきりしない。さまざまな出来事に、心がついていかなかったのかもしれない。退院して学校に通いはじめた私は過剰に胸をかばうようになり、どんどん姿勢が悪くなり、前屈みになった。

教室の椅子に座ると、おでこが机の天板に触れてしまうほど姿勢が悪くなった。目の前にある天板の木目をじっと眺めるという日々が続くと、先生がそれを見とがめて、私の背中を物差しで叩くようになった。いくら頼んでも、体育の授業を休ませてくれなくなった。ドッヂボールの授業で、ボールが胸元に当たり、痛みで息が吸えなくなってうずくまると、大袈裟だと怒った。

私自身も、自分は大袈裟でずるい子なのだと信じ込んだ。そして、体育の授業を休まなくなった。なにもかもすべて周りの生徒に合わせることで、自分1人が目立たないようにした。目立たなければ、先生に叱られることもないからだ。