ハリーと机に横たわる虎(写真提供:村井さん)

7歳の私が開胸手術を受けた日

7歳の私が開胸手術を受けた日、朝から私の病室は慌ただしかった。両親は青い顔で右往左往しているし、いつもより忙しそうな表情の看護師さんが次々と病室に出入りし、私の世話をやいた。血圧を測り、脈を取る。なぜか私の髪をとかし、あら今日もかわいいわねと言い、点滴を何度も確認する。いつもは笑顔の看護師さんたちに、その日、笑顔は少なかった。忙しそうな主治医が何度も病室にやってきて、「大丈夫だからね」と言うたびに、これから大丈夫ではない何かが行われるのではと不安になった。

私が眠っていないことに驚き、「寝てもいいんだよ?」と看護師さんが繰り返す。目をつぶってごらん、眠くなってくるはずだからと言われれば言われるほど、私は両目を見開いて、がんとして眠らないようにがんばっていた。母はそんな私を見て、オロオロとしていた。父は、「早く寝ろ」と睨みをきかせて何度も言った。

それでも、どうしても眠らない私に業を煮やして、看護師さんが一粒の白い錠剤を手渡した。私はそれを手のひらに載せてまじまじと眺め、そして水で飲み干した(はずだ。そう記憶に残っている)。それでも、私が手術前に眠ることはなかった。両目を見開いたままの私は、そのまま手術室に運ばれていった。

ここから先の記憶は曖昧だし、本当のことかどうかも定かではない。もしかしたら、私が勝手に作り上げた記憶かもしれない。しかし、私は40年以上もこの記憶を忘れないように何度も丁寧に頭のなかでなぞっては、大切にしてきた。手術台の上に寝かされたこと、ギラギラと光るライトが眩しかったこと、次に目を覚ましたとき、喉に大きな機械が入っていて苦しかったこと、何人もの大人がICUのベッドに寝る私の顔を覗き込んでいたこと、喉の奥に入っていた機械が取り除かれた瞬間の痛み、そしてなにより、胸の痛みだった。