なぜ信長は光秀を抜擢したのか
その背景からすると、やはり織田信長は異常でした。農民身分の秀吉を抜擢したり、前歴ではなにをやっていたのかわからない滝川一益を起用したり。そうした登用を平気でやる。そして登用する基準はどこにあるかと言えば、才能です。才能があれば使った。僕らからすると当然かもしれませんが、当時はそれがまったく当然ではなかったのです。
光秀も、織田家に転がり込む前は、なにをやっていたかよくわからない人物。もともと美濃国の人であったことは恐らく間違いなく、それまで培ってきた人脈やコネを総動員して、信長の元に足利義昭を連れてきた。そうして信長と義昭グループの間を取り持ったのがたぶん光秀だったと思います。
そして信長はその功績一発で、光秀の能力を認めた。「よし、その話はわかった。ついてはおまえも織田で働かないか」と採用した。信長は、よほど光秀の才能を高く買っていたのでしょう。
信長は、すぐに足利義昭を連れて上洛を実行するわけですが、その後、彼は京都に、町奉行的な人間を四人置きました。ひとりは秀吉。もうひとりは安土城を造ったときに総監督に任命した丹羽長秀。さらに中川重政。そして光秀。この四人のうち、中川重政以外は、みんなその後、織田家の五本の指に入る、織田家ファイブの武将になっています。
つまり、それだけ京都の町奉行というポジションを重要と考え、優秀と見た人をそこに起用していた。光秀もそのひとりだったわけですが、ついこの間やってきたばかりの男を重要な立場に起用したのですから、信長はよほど高く光秀の能力を評価していたのでしょう。それは当時としては相当、びっくりするような話でした。