とにかく国単位で物事を考えていた日本人
ともかく朝倉敏景は合理的な精神を持っていた。ところが、その「朝倉敏景17カ条」の中に、「内政については他国の者をなるべく使うな」という言葉が出てくる。越前国は越前の人間で運営していくべきであって、ほかの国の人間は信用するな、内政に関しては特に信用するなということを言っているのです。
現代の僕らは、日本というまとまりの中で暮らし、否応無しに「自分たちは日本人だ」という意識を持っている。しかしどうも当時の人たちは、日本というまとまりを意識していない。むしろ「俺たちは越前人だ」とか、それから隣の越後人だとか、当時の国、今で言えば県ぐらいのまとまりの中で生きていた。
基本は国。自分の国の人が仲間。ほかの国の人は、仲間ではない。だから、国の重要なことを決める内政については、他国の人は使わない。朝倉敏景の方針は、リーズナブルであると言えばリーズナブルなのです。
たしかに、ほかの戦国大名の人材登用を見ても、基本はやはり世襲で、他国の人間は使わないのが普通。武田信玄や上杉謙信も登用してはいますが、それでもそこまで積極的には行われているものではない、というのが正しいでしょう。