往年の洪門メンバー

習近平の父親・習仲勲と洪門の関係

致公党は建国後も海外の洪門勢力と交流を持ってきたが、文革によって一度は完全に断絶した。だが、党活動が復活した1982年ごろから、アメリカ・カナダ・フィリピン・オーストラリア・ペルー・ミャンマーなどの洪門組織や構成員との接触を再開するようになった。

党史『中国致公党簡史』によると、1979年から83年までに香港・マカオ・台湾や他国の華僑ら、個人や団体を170回近くも接待したという。また1984年には致公党の海外訪問団がフィリピン・カナダ・アメリカと香港・マカオに出かけ、現地の華人の洪門組織や華人団体との交流をおこなった。

文革の影響で全中国が疲弊していたこの時期、海外の華人や洪門組織と接触できる致公党は、彼らを対象とする僑郷(華僑の出身地)への投資の呼び込みや寄付集めをおこなえるということで、従来とは違った形で注目されるようになった。やがて1985年に開かれた致公党成立60年記念式典では、中国共産党高官の習仲勲が以下のような演説をおこなっている。

「致公党は海外の華僑同胞・洪門の人士と広範な関係を結んでおり、愛国統一戦線を発展させるうえで優れた条件を有している。私たちは致公党が中国国内での仕事をしっかりやることと同時に、海外の華僑同胞や洪門・台湾・香港・マカオ同胞との関係を引き続き発展させ、中華の振興と祖国の統一という千秋の大業のため新たに貢献してくれることを望んでいる」(『中国致公党簡史』)

習仲勲は現在の国家主席である習近平の父親だ。息子とは違って党内のリベラル派として知られていた習仲勲は、致公党が改革開放時代の経済発展や海外統戦に役立つことを見抜いていたようである。この演説はほかにも「洪門・台湾・香港・マカオ同胞」と、洪門を台湾や香港と同列の存在として扱っている点も興味深い。

華僑マネーを当てにした投資誘致は今世紀に入ると沈静化するが、逆にその後は中国の経済発展によって留学ブームや中国企業の海外投資奨励政策(走出去)が起き、さらに習近平政権の成立後は国際進出戦略である一帯一路が提唱された。

つまり、中国人が海外に出る機会が増え、中国が政治・経済面で海外に影響を与える局面が増した。ゆえに中国共産党による海外統戦の重要性も、大幅に高まっていく。

『現代中国の秘密結社 -マフィア、政党、カルトの興亡史』(著:安田峰俊)