「これは大変なことになってしまったと、おさんの母親役だった浪花さんにすがって、『すべて教えてください』とお願いしたんです。」と語る香川京子さん(写真提供:室蘭映画製作応援団2020)

わが家の玄関先にと、くちなしの木を

「《反射》してください」というのが監督の口癖で。たとえセリフのないシーンでも、相手の動きや言葉に常に反応していなければいけない、と。今でもお芝居をする時には、その《反射》という言葉を必ず心に留めているものの、当時はどうしたらいいのか、よくわからなくて。

それで、浪花さんの教えを仰いだんですね。監督が何もおっしゃらなくても、浪花さんはその役の心をきちんとつかんでお芝居をなさる方だったので、名だたる監督さんたちからも尊敬されていました。

その浪花さんに手取り足取り教えていただいて、なんとか撮影を乗り切ることができたのです。私は自分のことだけで精一杯だったので、あの時、きちんとお礼を言ったのかしら? と、今頃、反省したりしています。

しかも、未熟な私を浪花さんは一度も叱らなかった。いつも優しくて明るい方で、冗談もよくおっしゃっていましたね。『近松物語』を撮り終えた後しばらくして、私は東京の目黒に家族で住む家を建てたんです。そこに浪花さんが訪ねてきてくださって。その時も、うちの玄関先に植えたらどうかと、くちなしの木を贈ってくださったことを覚えています。

最近の若い世代は浪花さんのことを知らない方も多いと思いますが、浪花さんは女優として大成されるまでは大変なご苦労の連続だったとか。幼くして奉公に出され、貧しくてほとんど学校にも通うこともできず……。

独学で文字を学び、カフェの女給になった後、京都・嵯峨野にあったプロダクションのオーディションを受けお芝居の世界へ。すべて自分で決め、自身の力で道を切り開いてきた強い方です。そんな浪花さんの生き方を、日本中のみなさんに知っていただけることは、とてもよかったと思っています。

香川さん(中央)は、映画『大阪物語』(1957年)でも浪花さん(左)と共演した(協力:国立映画アーカイブ)