浪花千栄子さん(写真提供:朝日新聞社)
NHKの朝ドラ『おちょやん』のモデルは、波瀾万丈の人生を送り、名脇役として活躍した浪花千栄子さんだ。溝口健二監督の名作『近松物語』で浪花さんと出会い、薫陶を受けた香川京子さんに、浪花さんの思い出と、その後の女優人生について聞いた(構成=内山靖子)

母親役の浪花さんにすべて教わった

若い頃大変お世話になった浪花千栄子(なにわちえこ)さんの生涯が、今期の朝ドラになると聞いた時は、嬉しかったですね。浪花さんとのご縁が深まったのは、私が溝口健二監督の映画『近松物語』に出演した時のこと。この作品で、当初、私は女中のお玉の役をやるはずでした。

ところが、その前に出演した『山椒大夫』がヴェネチア国際映画祭に出品され、映画祭に出席した私がヴェネチアから帰ってきたら、いきなり主人公のおさんの役をやることになっていたのです。

おさんは京都の大店(おおだな)の職人に嫁いだ若い後妻で、長谷川一夫さん演じる店の手代と禁じられた恋に落ちるという役どころ。当時、22歳だった私は人妻の役も初めてなら、裾をひくような着物を着るのも初めてで。しかも、セリフは京都弁でしょう。東京育ちの私にはまったく馴染みがありません。

これは大変なことになってしまったと、おさんの母親役だった浪花さんにすがって、「すべて教えてください」とお願いしたんです。

当時、浪花さんは40代後半で、京都にご自分が経営する「竹生(ちくぶ)」という「料理旅館」を建てられたばかり。開業前のそのお宅に「泊めてください!」と押しかけて、衣裳部さんから借りてきた衣裳を着て、部屋の中を歩く練習をするところから浪花さんに教えていただきました。撮影中もずっと泊まりこみ、京都弁や演技も指導していただいたのです。

女優としてまだ新人同然だった私にとって、おさんを演じるのはとてもつらい経験でした。溝口監督は演技指導をいっさいなさらない方だったので、すべて自分で考えるしかなかった。

●浪花千栄子さんはこんな人!
本名・南口キクノ。1907年、大阪府に生まれる。4歳で母と死別、8歳で奉公に出されるが、18歳で京都で女給として働いたのち、村田栄子一座に入り、東亜キネマ等持院撮影所に入社。その後、新潮座に移り、30年渋谷天外と結婚。松竹家庭劇、松竹新喜劇で活躍するも、天外と離婚し、退団する。

その後はラジオドラマで人気を博し、溝口健二監督の『祗園囃子』、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』など、日本映画の名作に多数出演した。本名の読み「なんこうきくの」にちなんで、オロナイン軟膏のCMに出演、ホーロー看板でもおなじみ。73年、消化管出血のため死去。享年66