東京新聞の「ニューフェイス」応募時に送った女学校卒業時の写真(写真提供:香川さん)

女優になったのは究極の選択

浪花さんと同様、実は私もなんでも自分で決める性格で、デビューしてわずか3年ほどで、フリーに(笑)。自分が出演する仕事を自分で選べるようになりたい一心で、先のことは考えなかった。でも、思いがけず小津安二郎監督や黒澤明監督など、たくさんの監督さんとお仕事をすることができました。

女優になったのも、ある意味、究極の選択をした結果だったのです。女学生の頃の私は、卒業後は大学に進学し、好きな英語の勉強をしようと思っていました。でも、家庭の事情で大学を諦めて、お勤めをしなきゃいけなくなり、銀座の和光の就職試験を受けたんです。当時はまだ服部時計店という社名でした。

でも、もし受かっても、ただのOLで終わるのはつまらない。なんでもいいから「これは自分の仕事です」と言えるものを持ちたいと思っていた時、東京新聞が主催していた「ニューフェイス・ノミネーション」の記事が目に留まりました。女優になりたいなんて、それまで夢にも思っていませんでしたが、応募してみようと。

当時、新東宝の宣伝課長をしていた義理の叔父に相談したら、「やめなさい」と。叔父は芸能界の厳しさがよくわかっていたので反対したんでしょう。でも、黙って応募書類を送ってしまったんですけどね。(笑)

ところが、なかなか返事が来なかった。女学校を卒業する時に写真屋さんに撮ってもらったおさげ髪の写真を応募書類に貼ったのがまずかったのかなと考えているうちに、和光の試験のほうは順調に進んで。で、忘れた頃に、ようやく東京新聞から一次審査を通ったという知らせが届き、双方を受ける形になりました。

おまけに、和光の最終面接とニューフェイスの最終カメラテストが、なんと同じ日時に行われることになってしまったのです。人生の分かれ道ってあるんだなぁって、しみじみ実感しましたね。