近ごろ、「大人になってから友達を作るにはどうしたらよいか?」という相談を各所から受ける。主に取材で。中年にさしかかり、友達が少ないことを気に病む人は、思ったより多いようだ。
さみしさを感じたら
なぜ友達が欲しいのかを尋ねると、たいてい「たわいもない話を聞いてくれたり、一緒に行動してくれたりする人が欲しい」とか「大人になって友人が少ないのは見映えが悪い」とか「昔は平気だったが、さみしくなってきた」というような答えが返ってくる。私は途端に鼻白み、「自分に都合のいい人が欲しいなら、お金を払って雇えばいい」と、ぞんざいな答えをしてしまう。
私にとって友人とは、なにかあったら万障繰り合わせて駆けつける相手のことだ。それだけの価値があると、見込んだ人のこと。してほしいことがある相手のことではない。
これもまた友人から聞いた言葉の引用だが、「自分主演、自分監督、自分脚本の舞台に出てくれる人などいない」のだ。誰もが人生という板の上で、自分が主演の舞台を懸命に演じようとしている。誰がどう思おうとも、生きている限り脇役などひとりもいない。
さみしい人は、なぜさみしさを感じるのか。やや手厳しい物言いになるが、自分のことしか考えていないからだろう。我が身を振り返ってみてもそうだった。さみしさを抱えているとき、私は他者へ豊かな思いを馳せることができない。「どうして私にこうしてくれないのだろう」としか思えない。