ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は、友達について。「おかしい人はみんなさみしい」とつぶやいた女友達。スーさんがその言葉が腑に落ちてーー(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)
己のさみしさを認められない人は
十年以上前のこと。女友達が「おかしい人はみんなさみしい」とつぶやいた。確か、会社にいた変な人の話や、突拍子もない意地悪をしてくる親戚の話をしていたときだった。やや唐突に発せられた言葉だったが、その場にいた面々はみな、瞬時に意味を理解し黙り込んだ。そうだ、おかしい人はみんなさみしいんだ、と。
私はそれまで、他者に迷惑をかけるような奇行に及んだり、辻褄の合わない行動に出たりする人のモチベーションがわからなかった。なぜ、リスクを冒してまでそんなことを?と。しかし、さみしさがそうさせると考えると腑に落ちることが多すぎる。己のさみしさを認められない人は、他者の関心を引き出すために、わざとノイズを起こす。迷惑だとしか感じていなかった行為の裏側を覗いてしまった気まずさとやるせなさで、私の胸はいっぱいになった。
年月が経ち、「おかしい人はさみしい」に、ますます確信をもつようになった。自分だってそうだ。おかしいことをしているとき、私は同時にさみしさを抱えている。