1949年、人民解放軍によって制圧される大中華佛国の幹部ら(https://freewechat.com/a/MjM5ODQ0MzU1Nw==/207923411/1

皇帝が銃殺刑に処せられた「大中華佛国」

湖南省湘潭県の地主・石振順が清朝末期に三期普度という民間宗教を創始し、息子が教祖を継承。その子で教団三代目にあたる石頂武は17歳で中国国民党に加入し、やがて国民党員としてのコネを活かして三期普渡の教線を拡大させた。

日中戦争と国共内戦という社会不安の多い時代背景も影響してか、三期普渡の教えは湖南省都の長沙市や工業都市の株洲市をはじめ、隣接する江西省を含めた二九の市・県に広がり、およそ3万人の信者を集めた。

そして1947年、石頂武は皇帝に即位したことを宣言して「大中華佛国」なる新王朝を建てる。首都は彼ら一族の故郷である湘潭県排頭郷で、敷地面積1万平米に部屋数160という巨大な皇宮を建設し、三期普渡の幹部信者らを左丞相・右丞相・保駕将軍・軍師などの官職に封じた。さらに信者たちからなる大中華佛国護国軍を組織し、なんと現地の中国国民党軍の軍人に訓練のコーチを頼んでいた。

やがて湘潭は1949年8月に人民解放軍によって制圧されたが、大中華佛国は「蒋介石が帰ってくる」とデマを流すなどして抵抗。しかし1953年、中国共産党がとなえた民間宗教(反動会道門)撲滅キャンペーンを受けて壊滅した。公安当局の捜査によって、皇帝の玉璽・冠・龍袍(皇帝の衣服)が押収され、石頂武皇帝は銃殺刑に処せられ、王朝はいったん滅びたのだった。