2020年3月、胸部への転移が見つかり、抗がん剤治療のため入院。病室では毎日2ショット写真を撮り続けた

もう一度、名前を呼べばよかった

病院に戻ると彼の具合がかなり悪くなっていて、主治医の先生に「今日は泊まってください」と言われました。実はその3日前にも1度泊まっていました。そうしたら容体が一気によくなって安定したので、先生が「いやあ、すごいですね」と目を丸くして。だから、そのときと同じように私が泊まったらよくなる、と信じて疑わなかったのです。でも、先生はそうは思っていなかったのでしょうね。

その日の夜は、酸素濃度も血圧も脈拍数もどんどんどんどん低くなり続けて、私は秋ちゃん、秋ちゃん、と名前を呼び続けました。そして、夜の10時44分、彼は帰らぬ人となりました。

今も後悔しているのは、「ご臨終です」と言われたとき、なぜもう一度名前を呼ばなかったのだろう、ということです。もう一度呼べば、生き返ったかもしれないのに。そういう人っているじゃないですか。だから呼べばよかったって。

看取った後のことは、よく覚えていません。気づいたらコーディネーターの方が、お葬式の話をしていたような。でも、なんだか実感がなくて。

このコロナ下で葬儀を行うことには迷いもありましたが、夫と犬の散歩で時々通り抜けていたお寺のことを話したら、フジテレビ時代の仲間たちがあっという間に段取りをつけてくれました。葬儀にもたくさんの方が集まってくださり、感謝しかありません。

夫がフジテレビを辞めてもう何年もたっているのに、受付は後輩の女子アナがやってくれて、その後ろでは編成の方たちが動いてくれて。嬉しかったのはみなさんが「宅間さんにはのびのびとやらせてもらいました」とおっしゃったこと。

ああ、夫がやってきたことはそれなんですね。彼は人をのびのびとイキイキとさせることが得意だった。私にそうしてくれたように、すべての人をそうさせてきた、それが宅間秋史という人だったと、本当に嬉しく思いました。