1970年代前半、現在の東京の仕事場で
3月1日、美術家の篠田桃紅さんが老衰のため亡くなりました。享年107。書の域を超えて、独自の表現を続けてきた篠田さん。名エッセイストとしても知られ、最新著書『これでおしまい』(講談社)がいまなお発売となるなど、その研ぎ澄まされた感性、凜とした生き方は多くの人を惹きつけてきました。『婦人公論』2018年4月24日号では、105歳を迎えた篠田さんにインタビュー。アートを仕事に選んだ自分の人生は、非常にユニークなものであると語りました。追悼の意を表し、当時の記事を2回にわたり配信します。(構成=佐藤美和子 協力=小西恵美子)

“結婚適齢期”に芥川龍之介の言葉に触れて

私の人生はなりゆきです。希望とか計画を立てたことはありません。人生に対して、自分がこうしたい、ああしたい、と思ったことはほとんどないです。

初めて筆を手にしたのも、昔は新年に書き初めをするという習慣があったからです。父は慶応3(1867)年生まれで、書、漢詩、篆刻、謡などに造詣のある人でしたから、きょうだい全員に書の手ほどきをしてくれました。私は七人きょうだいの五番目です。

私の女学校時代は、女性は卒業したら、結婚するのがあたりまえとされていました。ちょうど戦争が影を落としていた時期で、私の友人は卒業と同時に結婚すると、1、2ヵ月で夫が戦地に赴き、戦死しました。夫がいなくなったのに、彼女は嫁いだ先の旧家で朝から晩までお姑に仕える毎日を送り、私は、何のための結婚だったのだろうと、つらそうな彼女を見て思っていました。

その頃、芥川龍之介の文章を読むのが好きで、私は次兄から芥川龍之介全集を借りては、ちょいちょい読んでいました。

するとそこに、「日本の女性はパラソル一つ買うのにも、デパートメントのあちらこちらに行ったり来たりして、一日がかりでやっと決めるのに、一生の相手を決めるのに、知り合いのおばさんとか学校の校長とか、はなはだあてにならぬ人物のすすめによって、一生の連れ合いを決める。日本の女性はどうしてもわからない」と書いてありました。

私はほんとうだ。この人の言うとおりだ。みんな知り合いのおばさんとか女学校の校長先生などがすすめる人と結婚して、それで運良くいい人に当たればいいけれど、これはくじ引きみたいなものだ。当たらなかったら、何のために結婚したのだろうということになる。結婚なんて簡単にしたら大変だと思うようになりました。