57年、ニューヨークでの展覧会が成功し、同年、パリの「ギャラリー・ラ・ユーヌ」でも展覧会が開かれた。篠田さんはニューヨークにいたため作品だけを送ったが、ちょうどパリを訪れていた彫刻家イサム・ノグチ(右から2人目)がレセプションに出席した

米国でのかけがえのない出会い

米国へは、行かれるようになったから行きました。43歳の時でした。私が米国へ行くと決まると、新聞社が一斉に取材に来ました。日本にはまだドルなどの外貨がない時代で、米国から往復の飛行機代と滞在費を送金してくれる人がいなければ、誰も渡航することができなかったからです。幸運なことに、私の作品を評価してくれる米国人が現れて、私は行くことになりました。

渡米して最初に、ボストンのギャラリーの招きで展覧会を開きました。その後、ボストンだけで帰国するのはばかばかしいと思い、ニューヨークへ行きました。ニューヨークは世界のアートシーンの中心地でしたから、世界中のアーティストとコレクターが集まっていて、ギャラリーの数は400を超えていました。

しかし一流と言われるギャラリーはそのうち10軒で、3〜4年先までスケジュールは詰まっています。当時のビザは2ヵ月しかもらえませんでしたから、そろそろ帰国の準備をしなければと思っていた矢先に、運良く、作品を見てくれていた「バーサ・シェファー・ギャラリー」の女主人から連絡がありました。予定していた画家の油絵が乾かないからスケジュールが空いたとのこと。急遽、私の展覧会が開かれることが決まり、ビザを更新しました。

この「バーサ・シェファー・ギャラリー」での展覧会がきっかけとなって、シンシナティとシカゴの美術館、ワシントンDCのギャラリーなどでも展覧会が開かれ、私は2ヵ月おきに移民局へ行っては更新して、結局2年以上、米国に滞在していました。

そして数年後に、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコらを擁するニューヨークきってのギャラリー、「ベティ・パーソンズ・ギャラリー」のベティ・パーソンズ女史が私の画商になりました。私の展覧会は定期的に開かれ、彼女が亡くなるまで、私はその都度、ニューヨーク各地を訪れていました。

米国では、かけがえのない出会いがたくさんありました。画家の岡田謙三氏、ジョン・ロックフェラー三世夫妻、近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウス、モダン・ジャズ・カルテットのジョン・ルイス、彫刻家のイサム・ノグチ、アカデミー賞主演男優賞を受賞した名優のチャールズ・ロートンなど。今でも時折思い出します。

60年代、ニューヨークの画廊主、ベティ・パーソンズと