アートを選んだ人生は運命だった
これまでの百年余りを話そうたって、こういうこともあった、ああいうこともあったと、限りないくらいあります。長く生きてきたということは、半端ではない。半端ではないから、書物にすれば、それだけで全集になってしまう。長く生きたのだから、当然のことです。
アーティストという仕事柄、日本だけではなくいろんな国の人たちと接します。その幅は広く、関係も深くて長い。長く続けば、何もかもが歴史になります。
若い時に結核になったことすらありましたから、長生きなんかできないと思い込んでいました。それがここまで生きているのだから、思いもかけないことです。
そして仕事が世界中の人に見てもらえる類いの抽象画だったので、多くの国々の人から興味や関心を持たれました。私の20代から30代初めは戦時中で、ほとんど幅の細い人生になるだろうと思っていたのが、いろんな層の人たちに出会うことになった。幸福と言えば幸福なことかもしれませんね。いろんな人種、いろんな階級、いろんな職業。王族や世界的な財閥から下町の店主まで、友人に近い間柄になりました。
特に何もできなくても、墨の線を引いて、かたちをつくっていることで、人とのコミュニケーションが成り立った。抽象画を描いている人間でないと得られないことだったかもしれません。アートというものが持っている範囲の広さは、あらゆる人に語りかけるものですね。
私は、自分の仕事にアートを選んだことが、本当に私の一生の幸せであったと思います。アートというものは、どの人とも同じようにお付き合いができる。生涯独り身で、幸福な家庭を持つことはできなかったけれど、その代わり、別の非常に幸福な生活をすることができたと思います。
人には、それぞれの運命というものがあって、それには皆従わないわけにはいかない。運命の前には、どんな力のある人でも抗うことはできない。アートを選んだ私の人生は運命だったと思います。
歌人・會津八一さんの歌が私の胸を過ります。
天地にわれ一人いて立つごとき
この寂しさを君は微笑む
法隆寺夢殿の救世観音を詠んだ歌です。この世の中でたった一人立っている寂しさ。それを観音様が微笑んでくれていると、會津さんは感じたのでしょう。私はこの歌が非常に好きで、若い時分からずっと書いています。
人は、一人で生きて一人で死ぬ孤独な動物です。そして人生というのは理屈ではない。その人が置かれている境遇、その境遇に対する気の持ち方ややり方で、その人の人生は決まる。そういうことだと思います。
<後編につづく>