仕事場の客間。写真はかつてのしつらいで、趣は現在とは異なる

人生は悲しく苦しい。だから、芸術ができた

文学、音楽、アート。あらゆる芸術は「幸福」からは生まれないように思います。芸術は、人間がつくりだした素晴らしいものだけれど、幸福だったら存在しえなかった。そう考えると非常に悲しいもののようにも思います。

人は常に幸福ならば、芸術などなくていい。生きることは悲しい、苦しいことでもあるから、芸術というものができた。ウキウキさせる芸術もあり、悲しみを増長する芸術もある。楽しくも悲しくもない、こちらを深い思索に導く芸術もあります。

子守唄をお母さんが歌い聞かせ、子が安らぎを覚えれば、音楽は幸福な存在。悲しみを表現した芸術に触れて、自分の悲しみと重ね合わせれば、芸術は共感する存在。

悲しい時、苦しい時、楽しい時、あらゆる場面で、芸術は人の心を支え、慰め、和らげる役割を果たしています。いつも人に寄り添ってはいます。

でも、非常に深く癒やされたり、救われたり、元気づけられたりする人がいる一方で、同じ芸術が何の役にも立っていない人もいる。アートと人の関係はそういうものですね。強く結び合う時もあれば、何の縁もない時もあります。

そのことについては、お釈迦様がすでに言っています。

「縁なき衆生は度し難し」

いくらありがたいお経を読んでも、縁のない人はどうしようもない。何の役にも立たない、と。