公私にわたる盟友であった橋田壽賀子さんと石井ふく子さん(写真提供:石井さん)
『おしん』『おんな太閤記』『渡る世間は鬼ばかり』などの大ヒットドラマで知られる脚本家の橋田寿賀子さんが4月4日、95歳で亡くなりました。仕事の相棒であり、公私にわたるよき理解者であった石井ふく子さんが、ともに過ごした歳月とご最期の様子を語ります。(構成=篠藤ゆり 写真提供=石井さん)

病状が安定し退院した翌日に

4月4日の朝、橋田さんの容体が悪いと連絡を受け、急いで東京を出ました。熱海のご自宅まで、車だと3時間くらい。11時頃に到着しましたが、間に合わず――本当に悔しくて、寂しくて、思わず「こんなに急いで、一人でどこに行っちゃったのよ。早く帰ってきてよ!」と叫んでしまいました。

その場にはお医者様やお手伝いさんのほか、いつも橋田さんと一緒にクルーズに出かけ普段の身の回りのお世話もしていた竹井さんという女性、泉ピン子さんなど10名ほどいました。いよいよ意識がなくなりかけた時、その10名で橋田さんを囲んで「千の風になって」を合唱したそうです。そうしたら一瞬パッと目を開いたので、みんなで大きな声で名前を呼び――その後、目をつぶって息がなくなったと聞きました。

具合がよくないと電話をいただいたのは、2月中旬くらいだったと思います。ふらふらして転んだ、と。ちょうど私も転んで動けなくなっていたので、「なんで同じ日に」と言い合って。食欲もないとおっしゃっていました。定期的に熱海の病院で診てもらっていたけれど、東京の病院で診てもらうというので、私も一緒に行って先生のお話を聞くことになりました。久しぶりに会ったら、かなり痩せていたのでびっくりしたんです。