それから間もなく、父は亡くなりました。85歳でした。悲しかったけれど、咳や痰で苦しそうでしたから、「おつかれさま」という気持ちのほうが強かったです。あんなにおいしいものが好きなのに、食事を満足にとれないのもかわいそうだったし、顔を見に行くと、「今日、死なないかなあ。でも天気の悪い日に死ぬのはイヤだなあ」なんて言っていて。あれもなかば本心だったように思うんです。

それに父の最後の時間、正直私は自分の病気のことでいっぱいいっぱいになっていました。特に1ヵ月に及ぶ入院期間中、娘の世話を誰に頼むかは真っ先に考えなければならない検討事項でした。

私はがんを告知されてすぐ、同い年の娘がいる親友に「預かってほしい」と相談しました。京都在住の彼女は快諾してくれて、彼女の子どもが通う保育園に、娘も限定的に入れてもらえることになりました。1ヵ月も私や夫と離れるのは寂しかったと思いますが、娘には病気のことも隠さず話していましたし、仲良しの子と保育園に行けて、毎日楽しく過ごせたみたい。1ヵ月後、ちょっぴり関西弁になりながら(笑)、元気に帰ってきてくれました。

でも、そのことをどこかのインタビューで話したら、「なぜ家族を頼らず、赤の他人に迷惑をかけるのか」とネットに批判的な意見を書き込まれて。すごく驚きました。夫は深夜に起きて出かける仕事ですから、子どもの面倒はみられない。実家に預けようにも父には死期が迫っていて、母はその世話で疲弊しきっている。そのまわりで元気な4歳児を駆け回らせるわけにはいかないじゃないですか。

もちろん、頼めば母は喜んで引き受けてくれたでしょう。でも親だから、家族だからって、なんでも頼っていいわけじゃない。むしろ他人だから素直に甘えられることもある。両親にとっても娘にとっても正しい選択だった、と私は思っています。