思いは、マメに言葉にして伝える

両親は、公私ともに支え合ってきました。娘がこんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど、母は料理家として才能も魅力もあるし、決断力もあり、セルフプロデュース力にも長けています。それを、父が時代の空気を読みながらセンスアップした。2人で会社をつくり、いまの「栗原はるみワールド」を築いたのです。

二人三脚の相手を喪った悲しみは、たとえ家族でも簡単には癒やせません。父の一周忌のとき、お坊さんが「この法要には、悲しむのは終わりにして、次のステップに進むという意味合いがあります」といった法話をされたので、帰り道に「お母さんもそろそろ前向きになる頃なんじゃない?」と声をかけたんです。そしたら、「できるわけないじゃない!」ってまたぶわぁっと(笑)。ああ、まだ無理だった、かわいそうなことをしてしまった、と反省しました。

「お父さんとの思い出の場所に行こうよ」と旅行に誘っても、まだそんな気分にはなれないようです。でも母なりに、気持ちの整理をつけよう、次に進もうと思っているのかもしれません。

悲しみをゼロにできなくても、支えになれたらいい。いまは近くに住んでいることもあって、ちょっと刺身を届けたり食事をしたり、週に一度は会っています。特に母は孫を溺愛しているので、「顔を見たい」と頼まれると娘を遊びに行かせて、ひと晩お泊まりをさせることも。昨年、私が二度目の手術を受けたときは、「預かれないのは寂しいけど、一緒に京都まで迎えに行く」と言うので、3人で楽しい京都旅行もできました。

入院時、娘を預ける先がなぜ母ではないのか、など私の考えはマメに言葉にして伝えています。誰しも年を取れば心配性になりますし、何でも話してきた伴侶を喪いひとりになった母を、言葉足らずによってあれこれ疑心暗鬼にさせたくない。まだしっかり者の母に、いま私がしてあげられるのはそれくらいかな、と思うからです。

私は父が大好きで、なにかと頼りにしていたせいか、喪失感はあとになってきました。夫婦喧嘩でモヤモヤして「あー、お父さんに聞いてほしい!」と思うこともあるし、運転中にふと思い出して涙がこぼれることもあります。

でも、関係性は母とのほうが圧倒的に密。母にも「私が死んだらどうするの?」とよく言われます。「わからない、考えたくもない」と答えると、「でしょー、じゃあ大事にしてね」って笑うんです。そうは言っても母も74歳。体を気遣いながら、いつまでも元気でいてほしいと思っています。