「(父を亡くし)悲しみに暮れても、母は仕事を休みませんでした。そこが母のすごさであり、一方であの忙しさで悲しみを紛らせているところもあるのでしょう。仕事があってよかった。」(撮影:本社写真部)
築地で鮮魚店を営みながら、魚を使ったレシピの開発、飲食店の経営など精力的に活動する栗原友さん。「食」とは異なる世界で働いていた栗原さんが、まさに水を得た魚のようにいまの仕事を楽しんでいるのは、食通で知られた父の故・栗原玲児さんと料理家である母・栗原はるみさんの影響が多分にあるようです(構成=山田真理 撮影=本社写真部)

父と母の結びつきは、それだけ強いものだった

父は2019年8月、半年間の闘病の末に肺がんで亡くなりました。46年連れ添った母は傷心のあまり眠れず、食事もとらずに泣いてばかりいました。あれほど誰かのために悲しめるってすごい。夫婦ってなんだろうと考えてしまいました。いまの私は、夫のためにあそこまで悲しめない気がする(笑)。父と母の結びつきは、それだけ強いものだったんだと思います。

悲しみに暮れても、母は仕事を休みませんでした。そこが母のすごさであり、一方であの忙しさで悲しみを紛らせているところもあるのでしょう。仕事があってよかった。そういう意味でも、父が母に仕事をするよう勧めたのは、大正解だったんじゃないでしょうか。

私が幼かった頃の父はテレビ番組のキャスターをしていて、母は専業主婦でした。それが父に「僕の帰りを待つだけの女性にならないでほしい」と言われたとかで、料理番組の裏方の仕事を始め、あっという間に人気料理家として活躍するようになりました。

とはいえ、その頃のことはよく覚えていません。鍵っ子になり、首からぶら下げた鍵のリボンがチクチクしてイヤだった、とかそんな記憶がかすかに残っているだけ。家に当たり前に母がいる生活ではなくなって、それなりに寂しい感情はあったように思いますが、家族ぐるみで仲のよかった隣の家で遊びながら、母の帰りを待つのも楽しかった。そこのお母さんも料理が得意で、子どもでもつくれるものをよく教えてくれたんです。