島本理生『ナラタージュ』に見る「関係性の変化」
どんなエピソードにも、「出会い」がある。……ならばこうも言える。どんなエピソードにも、「出会った後、こんなふうに関係が変化した」という経緯がある。
だって、その変化が物語になるんだから。
と、連載第2回の趣旨を説明したところで。私の好きな小説における「出会った他人との、関係性の変化」をご紹介したい。
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だけどそのとき、すぐ横の階段から葉山先生が下りてきた。その駅のホームで会ったことはそれまで一、二度しかなかったので、私はとても動揺した。彼は明るい顔でこちらへやって来ると、おはよう、のあいさつもそこそこに紙袋を取り出して「先週、貸したビデオなんだけど、完全版のほうを見つけたから、そちらも貸すよ」私は曖昧に頷いてお礼を言った。そして受け取った紙袋をすぐに鞄にしまった。このままでは彼と一緒に登校することになる。そうしたら少なくとも今日一日は我慢しなければならない。にわかに気分が真っ暗になって、目の前の線路のほうを見た。朝日に照らされた線路が呼び込むように光って輝いていた。今、ここで飛び込んでしまおうか。そう思って葉山先生の顔を見た。彼は穏やかな表情で電車が来るほうを見ていた。この人の前ではそんなことはできない、と思い直した。ホームに電車が滑り込んで来たのを見て私は泣きたくなった。この瞬間を逃したら、私はふたたび本気で死のうとは思わないだろう。そしてまた神経を擦り減らすだけの日常へ戻らなくてはならない。電車の強風で揺れていたスカートの裾がゆっくりと落ち着いて、ドアが開いた。行こう、と葉山先生が声をかけた。私は小さく、ハイ、とだけ答えて電車に乗った。席に並んで座った葉山先生は他愛ない話をしていた。私はほとんど黙って相槌を打っていた。そして、私はこの人が好きなのだと気付いた。(『ナラタージュ』p207-208、島本理生、角川文庫)
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島本理生の『ナラタージュ』。とにかく小説が絶品。未読の方がいたら、ぜひ読んでみてほしい。
『ナラタージュ』は誰が誰と出会う物語かというと、「大学生の泉が、高校時代の演劇部顧問の葉山先生と再会する」話。