四姉妹で「寅さん」を見に行く
世間を大いに騒がせた出来事も、一世を風靡した音楽や映画も、革新的といわれたテクノロジーでさえも、長い歳月のなかでは忘却の彼方に埋もれてしまう。でも「その時代」を撮った一枚のスナップ写真さえあれば、忘れかけていた「その時代」の手触りを懐かしく、あるいはほろ苦く、思い出すことができるかもしれない。
横浜市内のベッドタウンに暮らす「睦家」の人々の、元号が平成に変わる一年前から、令和を迎える年までの暮らしを描いたこの小説は、正月二日に撮影される家族の集合写真が各章の結節点となっている。母親の誕生日でもあるこの日、四姉妹(貞子・夏子・陽子・恵美里)は揃って実家に集う。そしてお節料理をつまみ、一緒に「寅さん」映画を見に行ったりもする。
平凡なそうした営みが定点観測のように、本作では繰り返し描かれる。最初の章ではニコンの一眼レフだったカメラが最終章ではスマホになるように、約三十年という歳月のなかでは家族のかたちも、一人ひとりの考え方も変わっていく。夏子と恵美里は揃ってバツイチになり、若い頃は「寅さん」映画に否定的だった映画マニアの貞子もその魅力をついに認めるようになる。四姉妹のうち三人は人の親となり、三女までは物語の始まった時点の母親の年齢を超える。
だがこの小説はそうした変化以上に、時の流れのなかで「変わらずにあるもの」をこそ描こうとしている。各章にはその時代に実際に起きた社会的大事件のエピソードが書き込まれているが、それらはあくまで後景にすぎず、睦家の人々の暮らしに起きる小さな事件のディテールこそが、丹念に、そしてコミカルに描かれるのだ。
「激動」と形容されがちな大文字の歴史より、さざ波のように寄せては返す日常些事を描くことが「小説」の使命なのだと、この作品は静かな声で宣言している。